月曜日の竜
私たち会計集団協働が、日頃深く活動対象としているクライアントに、全日本民主医療機関連合会とその加盟院所・法人がある。
言わずと知れた、差別のない医療の実現のために厳しい環境下にも拘わらず、差額ベッド料金を徴収しないなど、国民の命と健康を護る医療活動を全国で展開し前進しつつある。最も時々、ずっこける経営もないわけではない。
私たちの集団は、この全国組織の各法人の経営困難を乗り越える取組等に、役職員らと共に参加をしており、北から南から、朝から晩まで、忙しい思いをしている。いやむしろ、多忙にさせられている、と言うのが正確な表現かもしれない。
この全日本民医連では98年の総会で、自らの活動を「医療と人権」すなわち「非営利・協同」の活動であることを強く確認したが、そのテーマと意義等の難しさに、格闘継続中にある。
私たちは、必ずしも同様のことを追求してきたわけではないものの、どういうわけか非営利・協同の分野の業務が多く、経営や会計の視点から、このテーマを一緒に考えざるを得ない展開となっている。本来、門外漢の私たちとしては、そんなことは放っておいて、もっぱら会計の点検をしたり、赤字を追求したり、税金算定をしたりしていれば良いわけではあるが、それがそうもいかないのである。「それが非営利・協同なんです」、などと言う人もいる。
前置きが長くなったが、実は、99年秋に、この全日本民医連の有志の方々ら、総勢24人でバスク・モンドラゴンへ「非営利・協同」の取材の旅を敢行したのである。
昨年の私たちの編著「ウォッカにさそわれて」をお読み頂いた方には言うまでもないが、私にとっては1989年以来10年振りのスペイン・バスク訪問であった。
今回の旅の主たる目的である、バスク地方で展開前進しているモンドラゴン協同組合複合体についての報告等は、春先には刊行される予定であり、ぜひご購入いただきたいと願っているが、我がバランス新年号には、旅の番外編を載せることとした。出版予定の書籍は多少論文調のものとして想定されているため、昨年の旅行記のような「旅の徒然」などを記載する余裕がない。そこで本号では、この旅のエピソードを記しつつ、出版予定の書籍の予告としたい。以下は、非営利・協同とは結びつきにくい出来事の数々であるが、思わず「笑ってしまう」記事類で、新年の「読み始め」として、相応しいこと請け合いである。
1.ヒースロー空港
この旅行のきっかけは私の企画したものであるが、旅の行程等は(株)ユーラスツアーズの主催で実施した。添乗員はロシア旅行でおなじみのベテラン添乗員女史で、10月04日昼に成田発ブリティッシュ・エアウェイの機で予定通り飛び立った。機内食と多少のアルコールでほろ酔い加減の私たちは消灯された機内で睡眠時間を迎えていた。
ところが私の後ろの席がいやに騒々しい。
どういうわけか同行のI氏である。持ち込んだ日本酒を飲み干して、並びの席の人達に昔話を納得させようとしている。普段も地声が大きいI氏の声は機内10メートル四方に響き渡っている。旅の庶務係みたいな私は、注意をしようとも思ったが、I氏が時にしたがってダウンすることを知っていたので少々放っておいたのである。すると暫くして、これも同行のT氏から「Iさん、少し自制して静かにし給え!」と、見かねての注意が飛んだ。しかしI氏のお喋りはもう少し時が経過するまで続いていた。微笑ましいのは、注意したT氏の方である。国内で、時や場所に拘わらず、「静かにし給え」と言われ続けているのは実はT氏の方なのである。眼前の座席を相手には論争できないと思っていたのか、T氏は機内では妙に静かな時を過ごしていた。
当日の午後にはロンドン・ヒースロー空港に到着した。出発日の夜遅くにはバスク・モンドラゴンの近隣のビルバオのホテルに入る予定である。着陸した機内から清々しく(?)降りて来るI氏に機内夜の出来事を問い質すと、「ほとんど、記憶にございません」、とのことで、私は、さすがだな、などと可笑しくも感心してしまっていた。
2.点呼
旅のメンバーは添乗員を除いて23人であるが、22歳から70歳近くまで、北海道から沖縄まで、男性も女性も、医者も歯医者も、弁護士も会計士も、勤め人も学生も学者も、と多彩な集団である。これを統率することは、いかに賢いシープドッグが居たとしてもほとんど不可能状態である。(注、この文中のセリフはT氏の挨拶から借りたもの。)
しかし、旅の間毎日、10回から20回前後の点呼を要するのである。予定の行程通りに全員が行動するための、当たり前の行事であるが、添乗員のY女史の日課、いや時間課と化していた。このメンバーから案ずるに、時として何匹かの羊は群れに帰ってこないのである。
ヒースロー空港に到着した瞬間に姿を消したI先生、パスポートを英国航空機内に忘れても気が付かずに群と進んでしまうO氏、取材よりも山登りに行ったかと案じられたY氏、朝まだ暗い異国の街を走り回っては朝食抜きとなるのではと心配されたマラソンマン達、プラド美術館へ入ったきり、全く音沙汰なくなってしまったF先生など、はぐれかけては、行程にメリハリを付けていただいた方達が常連的に存在していたのである。しかし、基本的には全員無事の帰国を果たしたことで、一切は非営利・協同の水に流されたのであった。
3.スペインでは抜き歯が流行?
スペインに降り立った歯医者のF先生は、異国の地で自らが外人であるにもかかわらず、旺盛な好奇心からか、また身に染みついた職業意識からかは不明だが、行き交うスペインの人々の口を眺め続けていた。私のような凡人はそんなこととは露知らずにいたが、マドリッドで歯科診療所協同組合の取材に行ったときに、F先生が満を辞して質問した。
「お国の人々には、歯の抜けた人が多いが?・・・・・」
するとそれは、保険の制度の仕業であることが判明した。つまり、スペインの公的健康保険では抜歯までしか適用されないということである。その点では、わが国よりも遅れていると言えるが、何よりびっくりしたのはF先生の観察眼で、さすが歯科医なんだなぁ、と感心してしまった。
この歯科診療所協同組合については、その美人女史事務長が何年か前に日本の医療生協に視察と取材に訪れていて、我が取材団の北海道のY氏とその時交流したことがあると聞いて更に吃驚した。マドリッドのみならずスペインでは医療関係の協同組合はこれからというところと見ているが、歯科医のF、Y先生らは、普段の診療での時間当たりの患者数を誇らしげに語っていた。すると、マドリッドで稼がないか、とスカウトされかかってしまった。日本の非営利・協同の貴重な担い手を渡すわけにはいかなかった。最も移籍料次第であったかもしれない。
4.カヴァ・バカ・アホ
混迷と生活不安の靄が、ますます広がりつつある昨年度を継承した2000年の幕開けに、世紀末的用語を叫んでいるわけではない。(気持ちはそうだが)
れっきとしたスペイン語である。非営利・協同の取材の旅とはいえ、私の参加する旅では、毎日の交流潤滑剤としてのアルコールを抜きにしては、旅は始まらないし、終わりもしない。こたびのスペインでも、さすがに朝は静粛にしていたものの、昼食と夕食とその後は、美味くて廉価なワインを親しんだのである。親しんだというよりも、「舌死んだ」くらい、と言うべきかもしれない。比較的レッドワインが頻繁で本当に口中が甘ったるく痺れてくるわけであるが、ある時、コーディネイターのI先生が、「さっぱりとカヴァでもやりますか」、と言う。初めて知ったが、ジョーク同好会の常連とも言うべきI先生のまさしく「冗談」と思ったが、そうではなく、カヴァとはスペインのシャンパンとのことである。変にプライドの高いフランス人達は、「シャンパーニュ」に因む酒名を隣国で使わせてはくれないのだ。
ついでに、酒のつまみで食べる牛肉のうち雌牛のことを「バカ」と呼び、それに添えるニンニクを「アホ」と言うのだそうだ。アホ炒めバカをカヴァで飲み干す、などと真面目に飲むのである。
バルセロナのホテルのそばのバルで飲んだ店で、「BacaPaca」という店名を見て、I先生曰く、「雌牛のパカちゃん、でーす」。
5.バルの夜は更けて
スペインを一度でも訪れた方は、あちこちの街角にあるバルをご存じだろう。日本の喫茶店と居酒屋と大衆食堂をミックスして朝から深夜まで営業していると思えばよい。
極端に高い店はなく、ビール一杯と簡単なつまみで何軒も梯子するのが、通の飲み方と言う人も居た。
我が非営利・協同の取材団は、文字通り、自身が非営利の者が多いためか、「非営利のバル」即ち気楽で安いバルを目指して、夕食後の酔醒ましに街角へ繰り出すのが、旅慣れた後半の日課であった。夕食後と言っても、通常は、晩御飯は午後09時頃から始まるという可笑しな国柄なのである。したがって、夕食が終わるのは早くても10時半頃という始末である。
日頃私などは時と共に食事をしないとストレスが溜まる性分なのであるが、スペインではそれを埋めるのもバルである。食事前の一時、と言っても「2.3時間もの一時」であるが、食前酒を飲み、食前食を頂いて、粛々と夕食タイムを待つのである。
とりわけ最後に訪れたバルセロナはこじんまりした、雰囲気のある街で、夜も更けても、大勢の人々は密集的に点在するバルに集って、酒と食事とお喋りで楽しんでいるのだ。その開放的な様子は、毎日が祭りのように感じられて、夜になると気分が高揚してくるのは決して私だけではなかったと思われる。何しろ海に近い街のお陰か、我が同胞好みの海産物も多く、バルでの一皿がつまみに最適だと喜ぶ御仁も少なくなかった。
丁度帰国する日の前日は「イスパニアデー」とかいう祭日で、コロンブスがアメリカ大陸を発見した日に因む祝日であった。発見した後、北の方を重点にしていればその後の世界は全く違った展開となったであろうことを言っても仕方がなく、私は、何人かの同行者と共に大聖堂、ムゼ・ピカソ、ムゼ・ミロなどを廻った後、長男と共に市内のデパートに買い物に行ったのである。マドリッドからバルセロナへ飛ぶときにスーツケースのベルトに鍵をかけ忘れたため、荷物が出てきたときにはベルトは影も形もなく、帰国の途にベルト無しで機内預けとするのが不安となっていたのである。そのためにデパートならトラベルグッズが手に入るものと思い、出かけたが浅はかだった。
6.現行犯?
息子とバルセロナ一のデパートの一階入り口に一歩足を踏み入れた瞬間に、はて何階にトラベルグッズ売場があるのか知る由のない私は、瞬間的に(2,3秒で)、出入口に戻ったのである。売場表示の案内板を眺めようとしたのである。するとなにやら警報音が鳴り響いている。無視して歩こうとした私を女子店員が指さしてなにやら喚いている。私のことではなく、私の後ろの誰かのことかと首を巡らせても私の回りに身代わりはいない。助けとなるべき息子は眼に入らない。「シー・ディー」とか「リブロ」とか叫んでいる。CD、本、と言っているのだ。都の西北で一応スペイン語の単位を取った私であれば、本を万引きしたろ、というような意味だというぐらいは分かる。しかし、今、一瞬入って出ただけの私に、一体何の罪があるというのだろうか。美人の若い店員は、どうしてか、私が言葉が分からない外国人に過ぎないことを悟ってしまったらしい。
しきりに身振りで鞄の中を示しているが、何のことやらさっぱりの私は、立ち往生状態になりつつあったが、そこは非営利・協同の数々の修羅場をくぐり抜けてきた堅固な閃きを忘れなかった。ピカソとミロに罪があるのだということを瞬時に思い出したのである。
美術館で自身のものを含めて何点かの買い物をしたのであるが、そういえば美術館のレジでバーコードをなぞっていたことを思い出した。あの品物が、どういうわけか引っかかっているに違いない、と私も悟り返したのである。私はおもむろにショルダーバッグから袋に入った品物を取り出すと、美人女子店員は、やっと落ち着いた素振りとなり、自分のレジまで私を誘導(拘引ではない)して、レジの端末で私が手渡した品物のバーコードを読み取らせて、「Ok ThankYou!」とにっこりした。その笑顔で「無実の罪を謝れよ」ということを忘れてしまった。最も大学で習ったかも覚えていないのであるが。
無事釈放された私は、トラベルグッズ売場が存在しないことにもそれほど驚かずに、なぜ私が他の店で買った品物で、このデパートの警報装置が反応するのかで頭が一杯であった。帰りによく見ると店の出入り口には警報システム用のポールが林立していた。この謎は、いまだ明確には解けていない。
7.月曜日の竜
「月曜日の竜」に1986年から頭を煩わされているのだ。ドラゴン、月曜日のドラゴン、MondayDragonである。
取材で頂いた資料が外国語であるため(当然であるが)、一部をスキャナーで読みとらせパソコンで翻訳ソフトにかけてみた。次男坊に操作をしてもらったところ、「お父さん、月曜日の竜だらけだよ!」と訳の分からないことを言う。それではと、1頁を見ると確かに、「月曜日の竜」が紙面を賑わしている。モンドラゴンのMonを月曜日の略語と訳していたのだ。パソコン翻訳ソフトは私よりも英語の出来が悪いと見抜いた私は、少しずつするか、と思っている。実際は遅々として進むわけはないのだ。何しろ非営利・協同という摩訶不思議な人々と団体は、私の内面をつつきながら時を奪っていくのである。
想えば、1987年の09月に初めて行ったバスク・モンドラゴンが我が人生の大きな転機を創ったものと思っている。協同組合など単なる利用者でしかなかった私が、協同とは何か、協同組合の本質は何か、営利を目的とせずにどうやって経営を考えるのか、悪い黒字や良い赤字があるとは一体何を考えているのか、利益が何故必要なのかなどという質問にどう答えればよいのか、自主管理などというだけで原稿を差し替えられたりするのはどういうことか、当時、非営利・協同の分野の仕事が少しずつ依頼されるようになったのであるが、労働者生産協同組合を中核とするモンドラゴン協同組合群との出会いは、私にとっては新鮮かつ驚き以外の何ものでもなかった。
とりわけモンドラゴン協同組合群で80年代後半に制定された協同組合原則のうち、「資本は労働に従属する」という命題は、今もって私の頭から離れることはない。
労働の優越性を謳った原則であるが、具体的なイメージが湧かない自身の発想の貧しさから、私の「非営利・協同」の探求の旅が始まったのだと想う。今回の旅もゲルニカ、モンドラゴン、マドリッド、バルセロナと盛り沢山の旅であったが、これ以上は春にはお目見えする書籍にて読んでいただければ誠に有り難いところである。
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