非営利・協同のアレコレ
この非営利・協同コーナーを設けてから様々な議論を掲載してきたが、まだまだ議論が尽きないし、読者の皆様におかれても、一体「非営利・協同」って何なのか、未だによく判らないという方も少なくない。
そこで、この分野に住み始めて丁度20年目の節目に、この間の見聞・体験・議論・思考から一部を抜粋してご披露することにした。
もとより私の議論であり、ご批判やご意見が多々あるかもしれないが、そもそも「非営利・協同学」などが確立していない現状ではやむを得ない。
まさしく実践の中から収集し、篩にかけ、再構築し、さらなる実践・実験と理論構築を繰り返すことが必要と言える。
1.営利と非営利
うちの会社は「営利」企業である、私の団体は「非営利」団体である、などと気軽に呼んでいる。
或いは、NPO組織はみんな非営利組織と括って位置づけてもよいのか、社会福祉法人であれば、或いは障害者団体であればみんな非営利組織か、株式会社は資本主義の産物なのですべて営利組織と分類すべきなのか、疑問は尽きることはないのである。
営利組織と非営利組織は一体どこが違うのであろうか。
例えば医療法では、医療機関は営利を目的としてはいけない、すなわち医療行為で第一に利益を追求してはいけないと法定されている。
街でよく見かける開業医も、私共が関与している全日本民医連傘下の病院も皆この医療法の規定の適用を受けているが、みなおしなべて「非営利」だね、という理解が正しいのであろうか。答えは、「否」と思う。
同じ事業を営んでいても、営利企業であったり、非営利事業体であったりするのである。
その区別は何かと言えば、「目的」の差に尽きるのではないだろうか。
すなわち「営利」を「第一の目的」としている企業や経営・団体は「営利」組織であり、一方で利益追求自体を第一義的な目的とはしていない事業体は「非営利組織」として考え、基本的な区別するのである。
さて、この「基本的に区別する」ということが曲者なのである。
2.目的と手段
利益追求自体を目的としていなければ「非営利」であり、利益追求を第一の目的としていれば「営利」と区別するのであるが、その組織が展開している事業の種類によって区別しているわけではない。ここをよく誤解される方々がいる。もちろん公序良俗に反する事業はそもそも非営利組織には馴染むものではないが。
利益追求を第一の目的とはしないものの、目指す活動や組織を維持発展するためには「利益」が必要であり、その点では利益を追求することとなる。
同じではないか、と言われるかもしれないが、違うのである。利益追求は「目的」ではなく「手段」と理解するのである。
非営利組織は、利益を第一の目的とはしないで、手段として位置付ける、このように理解しているのである。読者諸氏は如何であろうか。
あらゆる組織や企業の目的は、その定款、規約、規定等で確認されるが、必ずしも明解ではない場合も多い。
大きな会社の社是・社訓などでも「我が社は会社の利益追求の存在ではなく、仕事を通じて社会的使命を果たす!」などと謳われている場合も少なくない。
株式会社は、すべて「営利」企業として分類するのか、私の答えは「否」である。その多くは営利企業として区別されるが、全部ではない。
利益追求を目的とはせず「非営利」組織として分類してもよい株式会社も、立派に存在しているのである。
一方で、この間、法制化の影響で無数に組成されている「NPO」法人は、文字通りノン・プロフィット・オルガナイゼーション(非営利団体)として、そのすべてを本当に「非営利」団体として分類するのであろうか、私の答えはやはり「否」となる。
NPO法人の多くが「非営利」組織であり、あるいは、そう成らんとして努力をしているものと想像されるものの、中にはNPO法人の実質主宰者が「非民主的」な運営等を基礎に、個人的な利益を追求している団体である場合も否定できないからである。
前記の医療機関にしても、開業医はその圧倒的部分が営利の存在といえ、全日本民医連の加盟病院等は非営利の組織とされる。
結局大切なことは、営利と非営利の区別は法人組織形態によるのではなく、掲げている理念や目的だけでもなく、その実態こそが判断基準である、と指摘できよう。
3.区別の必要性
なんだか議論ための議論のように映るかもしれないし、そもそもそんな区別が必要なのかと問われるかもしれない。
実は多少オーバーな表現を使えば、前世紀すなわち20世紀の終わり頃から、世界中でこの議論が必要となってきたのである。
私も、20年前の1983年4月に遭遇した全日本民医連傘下の社団法人山梨勤労者医療協会の超大型倒産事案に関わってから、私にとってこの議論の端緒が始まったといっても過言ではない。
この倒産事案については、いずれ再整理して報告したいと考えているが、今しばらく待っていただきたい。
さて、区別の必要性は、現瞬間においても、我が国の経済・社会の隅々までゆきわたらんとされている「市場経済」論のせいなのである。
アメリカの金融資本を頂点とする国際資本らは、全世界の果てまで、その市場経済の「見えざる手」を広げんとし、その妨げとなるそれぞれの国家の規制等を撤廃させ、各国の自主的なルールを「グローバルスタンダード(国際標準)」に従え、などと言っては、その変更を迫っているのである。この辺は本号の他の記事でも言及されている。
その巨大な営利資本は、儲けられそうな国や市場があればあっという間に飛びつき、短期的な暴利に食い飽きればあっという間に撤退を図ってしまうのである。書籍コーナーで紹介している内橋克人氏がこの10年ほど指摘し続けている巨大流通資本による地域経済社会の破壊とほとんど似ているのであるが、それが地球規模で進行しつつあるのである。
このような国家の壁を超えた世界単一市場のごとき展開が前世紀の終わり頃から頓に始まったのである。
我が国の与党政府はこの取り組みに呼応し、市場経済の「見えざる手」に、あらゆる分野を委ねるがために、規制緩和、行財政改革、税制改悪、年金・保険制度等の改悪、医療や福祉、教育等の似非改革を続々と打ち出してきているのである。
それらの改革等は、圧倒的国民や弱者のためではなく、まさしく「市場経済」とそこから捕食する巨大な営利企業のために推進されている、という以外の何ものでもない。
営利を追求していても市場で淘汰され、営利を追求していなければさらに片隅に追いやられてしまう、そんな時代に「営利」こそ目的としていないが「手段」としての利益は確保せんと奮闘する、換言すれば市場経済論に与さないけれども、市場の中で活動し続け、発展しようとする存在の「非営利組織」の活動や連携が、まさにクローズアップされ始めたのだ、と言える。
市場経済の強力な「見えざる手」の蠢く世界で、それに与さず、背を向けずに、医療、福祉、教育、労働、流通等々の様々な分野で、懸命にその存在を維持発展しようとする非営利の組織群が「サバイバル」を図るためには、非営利組織相互の存在を確認しつつ、手を携えて連携しあう必要性が時を刻むごとに増大していると言える。それ以外では巨大な地球規模の見えざる手の攻勢にめげて、終いには、消え去ってしまうからに他ならない。
さらに、多様な法人形態、組織形態、理念、運営方法等に彩られている非営利組織群にとって、連携・連帯するための「共通の区別基準」みたいなものが必要なのである。
それは、自他共に必要なのであるが、何故なら自身もいつ営利性を帯びてしまうかもしれない世のなかにいるからとも言える。
我彼の団体や組織が「非営利」であるかどうかの判断は、連帯の力を最大限に発揮するために必要なことと理解されるが、先に指摘したとおり、多少の実態判断が伴うことなる。次にその論点を私なりに整理してみよう。但し論点のすべてを言い尽くしてはしないのだが。
4.非営利組織の実態判断要件
(1)非営利組織と利益配当
非営利組織が、利益追求目的ではないということは、いかなる意味をもたらすのか、議論が多いところである。
利益を第一に追求しないが、組織や活動の維持発展のために利益は必要だ、このように考える非営利組織では、個人的あるいは少数の構成員らのために「獲得した利益」を配分するようなことはふさわしくない。
すなわち、非営利組織では構成員らに配当をしない、とりわけ「出資配当」をしない、これは基本的な要件の一つである。
非営利組織として存立しようとする株式会社で、配当はしない、という定款を保持している法人もある。
そのことは、配当等を目当ての出資を求めたり、そのような利益配当期待の構成員らが多数存するような組織は非営利組織には馴染まない、ということを意味している。時折、この課題で悩ませられている。
(2)非営利組織の運営
非営利組織では、営利組織における「利潤原理」ないしは「利益追求目的」の組織形成は行わずに、民主的な管理運営ルールの適用と組織作りをすることが最も肝要と言ってもよい。
営利組織を貫く「利潤原理」の代わりに、「民主主義」を組織運営の原則とすることが必要なのである。
いくら利益追求を第一の目的としていなくても、また利益配当はしないとしても、組織運営が「非民主的」なものでは非営利の組織ということは出来ない。
この民社的運営原則は非営利組織が非営利組織であるための、いわば実態原理ないし実際的要件とも言える。
形式が整っているように見えても、実は個人支配ないしは少数の利益のためにあるなどの非営利組織があっても不思議ではない。
大体、非営利組織が破綻するときには、すべての場合と言ってよいほどに、当該破綻組織では非民主的運営がなされているのである。
さて、「非営利・協同」という言い回しにはいくつもの論点があるが、私は、非営利協同ではなく、非営利・協同、と区別している。
「非営利と協同」は常にセットではない、と考えているからである。
非営利組織ではあるが協同ではないというような組織も見受けられるからである。
では協同とは何だろうか、これも幾つも議論があるが、私の理解は次の通りである。
協同とは、「真に協力協同する人々が当該組織に多数働いている」、若しくは「基本の構成員となっている」という理解である。
いわば、当該非営利組織の維持発展を真に願う人々が多数に渡って存在する、という意義である。
したがって非営利組織が非営利・協同の組織に「必然的に発展する」とは考えられないのであり、世界のあるいは我が国のNPO団体等のすべてが非営利・協同の組織に必ず発展していくとも限らないと考えているのである。
その可能性は充分にあるが、必然とは考えない、これが私の現時点の持論でもある。面倒臭い議論で恐縮であるが、共に発展しようとする組織や団体の広範な連携・連帯を模索すべきと考える一方で、非営利と付いたら何でも安心して付き合えるなどと考えるのも、ちと早計短絡か、と思考しているのである。
(3)非営利組織の資金
非営利組織でも活動の発展や施設作り等のために一定の資金または相当の資金が必要な場合も少なくない。
ましてや事業活動を旺盛に展開し無数の弱者の支援をするなどのためには資金がいくらあっても足りない。
一方、営利組織では利益の分配や配当を求めて貸付資金や出資資金が多数多額に集まるし、集まりやすい制度や仕組みが活用されている。上場会社等はその最たるものである。
非営利組織では前記の通り配当をしないという原則を堅持すれば、「利」すなわち利息ないし利益配当を目当ての仕組みは作れないし、作ることは適正ではない。だとすれば「利」を第一には考えない資金の結集が必要とならざるを得ない。当然に一件当りで高額の資金が沢山集まることは想定されない。もちろん予期せぬ多額の資金が提供されることも少なくないが、それよりも多数の無数の人々から集め大きくすることが必然かつ妥当と言える。
もちろん金融機関の資金を借りることを否定するものではない。むしろ非営利の組織であることを強調しつつ低利の融資を獲得するくらいの決意と取組が必要と思う。
同時に、公的な補助金については、非営利組織が本来公的セクターが担うべき部分に関わる業務が多い以上、補助金の要請や獲得の取組も極めて重要と考える。医療、福祉、教育、仕事起こし等々何でも当てはまる。
また非営利組織の資金が寄付金か借入か出資かの何れの形態が望ましいかは、時と場合による、と考えている。借入金は弁済計画とその実行が重要であり、出資も脱退時の出身金返還等のルールの是非等の検討が必要となる。
寄付金が望ましいが常にあてにすることは適正ではない。非営利組織の資金結集はとりわけ我が国では仕組みの研究も実践も発展途上いやまだ端緒に着いたばかりと言えよう。
まだ論じ足りないが、紙数の関係で次の機会としよう。
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