−障害者支援を巡って−(共生社会の意義)
私も少しお手伝いしている「非営利・協同総合研究所いのちとくらし」の季刊誌の最新8月号で、障害者の運動を取り上げている。
同誌の座談会にも顔を出したが、主役ではないことから喋り足りない。そこで本紙で言い足りなかったことを掲載することとした。
この20年余、ほんの少し接しているだけの障害者運動の支援の取組ではあるが、私自身の主観的議論である。ご批判等は甘受することとしている。
1.社会福祉法人会計との出会い
幼いとき、障害者という言葉は知らなかったが、私がはじめて身近に接したのは小学校のクラスメイトであった。そのM君は学習が進まず先生にときどき叱られているように見えた。高学年のある時期、私はときどき放課後にM君ともう一人を残して補習授業らしき取組を続けた。
ところが幾ら教えても、なかなか前進する気配がない。一人は勉強したくないということであったが、M君は一生懸命、話を聞いているものの頭にしみ通っていかないことが判った。しばらくして、私の取組は中止と相成った。中学校に上がったとき、M君は私の通う武蔵野第四中学校の向かい側の別の学校に通うこととなった。ときどき学校まで一緒に歩いたが、「特殊学級」という言葉の響きが妙に引っかかっていたことを思い出す。
そう言えばM君のお父さんはタクシードライバーで、私とM君が学校への道を歩いていると時折通りかかって「乗ってけよ!」と言ってくれたものだ。今思えば、息子のM君のことが心配で朝一番の走りを通学路に決めていたのかもしれない。ある日、車の中でその父親が、ぼそっと言った。「坂根くん、ありがとうよ」
私が非営利・協同の世界に足を踏み入れたのは、ご存じの方も多いが、1983年の全日本民医連傘下の山梨勤労者医療協会の倒産事件であった。今や足抜きすることもままならないほど、この分野にどっぷりと浸かってしまう契機・転機である。もっとも後悔する暇もないので後悔したことはないが。
この倒産事件には数え切れないほどの事案が犇めいていたが、その一つが倒産経営から無償に近い賃料で甲府市内の土地を借り、就学前の障害者幼児の通所の施設を運営している法人格なき団体の事案であった。
無認可施設ではあったが、当時自治体から僅かの措置費が交付されはじめて、団体の会計と決算の描きが必要となっていた。私は、倒産経営との債権債務の在り様を整理すると共に、通所事業の会計処理と決算の在り方を検討した。
社会福祉法人会計基準を適用しようと思い、生まれて初めて解説書を読んだ。36歳の新進気鋭の(言い過ぎか?)会計士たる私でもさっぱり判らない、というのが最初の実感だった。
結局のところ、無認可であったという点も考慮し、現在適用されている社会福祉法人会計基準に近い会計処理と決算描きとした。
今から3年ほど前に、社会福祉法人会計基準が改定されたが、それまでは、ほとんど資金収支会計のみであること、発生主義適用による剰余金計算はしていないこと、したがって減価償却費などの概念はないこと、固定資産と固定負債は独特の経理処理であること、などが特徴であった。何故減価償却制度がないのかと言えば、投下資金の回収計算は要らない、更新の時も補助金か寄附金等で賄う、これが考え方の前提であるからに他ならない。
私は初めて出会った、この障害者施設の会計で、建物等の減価償却も実施した。もっとも、施設事業(措置費)の会計では収支差額いわば損益をあまり出せないという指導だった。剰余金が多額に出ることもないが、本部会計から施設会計へ一定の補填(繰入)をして収支ゼロという決算書を作っていた。
今でもまだ不自由であるが、措置費や助成金などの収入が計上される施設会計は、他の会計とは区別され、あたかも縦割り行政の姿を見ているが如くである。この障害者団体はその後認可され、法内施設となっている。
2.月給千円
本年3月にある社会福祉法人の施設の完成祝賀会に出席した。頼まれて監事となっていたからでもあるが、この施設の取組の中心メンバーの一人は長年の友人で同業者でもある。彼の子供らが障害者で、そのために入所の施設作りに、いわば半生を捧げつつ、大手の監査法人も退職して、社会福祉法人の常務理事として活動している。
施設造りのために、土地探しから始めたのだと思うが、見つけた国有地の払い下げ、同じ思いの同士の募集と資金造り、社会福祉法人設立の取組、補助金の申請と一大工事の推進等々、並大抵の事業ではなかったであろう。
祝賀会では、感無量の雰囲気が私にも伝わってきた。また友人は長いこと「わらび座」で会計士の仕事をしていた関係で、同劇団の社長も見えており、また寄贈された木工製品らが紹介されていた。
この社福は、入所施設であると共に、パン、豆腐などを製造販売する事業すなわち通所事業も取り組むこととしていた。
監事としての決算監査に出かけた際に聞いたところ、最初の月の製造販売作業に従事した障害者たちの賃金は月額千円となった、とのことであった。
時間給でも日給でもない。障害者らが一月作業をした対価が千円というわけである。世の多くの人々はこのような実態を知らない。
障害者の働く作業所または法内施設の現場では、平均で月額約1万円前後の労働の対価が支払われているに過ぎないのがその実態である。
これはおよそ給与とか賃金などという概念ではない。そこでは雇用という契約でもなく、労働基準法も適用されないし、社会保険料の控除が適用されるわけでもない。
何故まともな賃金を払わないのか、という質問は意味をなさない。
製品の販売や役務の提供等で得られる売上高から直接要する経費を差し引いて、残りを作業障害者の時間数等で割り振ると、一人当たり月額千円というわけである。その販売等収益から団体や法人が利益を得るわけでも、団体等職員らの人件費を賄うわけでもない。およそ生産性とか労働効率とか時間あたりのコストなどとは、いまだ無縁の世界と言える。
障害者の施設での労働は、実態は労働でも形式は労働ではない。旧厚生省と旧労働省が合体した今日、福祉という概念で括ってきた障害者の作業施設は、労働と労働権そしてその評価の確立という方向からではなく、障害者福祉に廻す財源の節減化の方向からの改革(改悪?)が目立っている。障害者の雇用促進制度も実態が形骸化しつつあり、雇用するよりも安い罰金の仕組みそのものが矛盾と化していると思えてならない。
障害者と通常に、当たり前に共生していくこと、そのような社会とするために「何か」が欠けている。
もっと後で述べる、「きょうされん(共同作業所全国連絡会)」から依頼され、ヤマト福祉財団の全国セミナーに参加したことがあるが、そのとき主宰者の財団理事長小倉昌男氏(もとクロネコヤマト会長)は、賃金とも呼べないレベルの金額に吃驚して怒っていた。
怒るだけではなく、小倉氏は自ら障害者の働くパン屋を創業させ、銀座や霞ヶ関なとで店舗を展開している。そこの障害者の賃金水準は一般の施設と桁が違うことを誇っていた。毎年、全国数カ所で実施されているヤマト財団の福祉セミナーには同財団が数千万円の拠出をしているが、歯がゆい経営実態の改革への思いの発現と考えられる。
1万円しか払えないような事業は事業と呼べない、とは、三越御用達の配送事業をけ飛ばして撤退し、宅急便ネットワーク完成のために、国相手に70件もの訴訟を闘いつつ路線便の全国展開を勝ち取ってきた自負が言わしめていると思うが、一部納得し得るのである。
もとより小倉氏の人脈や交流を基礎としたパン店舗事業の展開であったであろうから、同じようにやろうにもそう簡単ではない。
パンはパンでも、付加価値の高い、売価の高い、儲けの濃い商法への眼力は学ぶ点と思う。
差別されてきた者同士が、自らの仕事で差別化を図る、これが小倉氏の言いたいことかもしれない。
3.支援費制度と会計基準改定
今まで長い間、法内施設には措置費の交付が、無認可作業所には1施設当たり130万円の国の助成金と自治体助成金が交付されてきた。
このうち法内施設の措置費制度は、施設で障害者らをサポートする職員の人件費に充当するものとして交付されてきた。しかしこの措置費制度が廃止され、2002年度より支援費制度というまったく新たな仕組みが提起され実践されている。
施設が障害者のサポートをし、その支援費用を自治体に請求する仕組みは介護保険と同様である。介護保険に5段階の介護度が設定され、被介護者の介護度合いで請求単価が変わり、その1割を被介護者本人が負担するという仕組みもほぼ同様である。
障害者の支援費制度では障害程度の等級が3段階に設定されている。
介護保険と大きく違うのは、支援費はその自治体負担の全てを保険料と税金で賄っているのに対して、障害者支援費制度では介護保険のように障害者を含む国民が保険料的負担をしているわけではない点である。
また介護保険のように請求後2ヶ月間の入金では資金力のない社福はひとたまりもない、自治体によっては導入された2002年度のはじめに特別融資制度を設定したところもあるし、支払は介護保険よりも速いテンポで履行されている。それでも今まで請求だとか本人負担金の未収金管理とか、そのような管理をしたことのない社会福祉法人では、煩雑面倒な会計管理等を余儀なくされている。
この支援費制度と同時に社会福祉法人の会計基準がガラリと改定された。支援費制度導入と無縁ではない。
それまでの社福独特の経理処理を廃して、損益計算的仕組みを取り入れ、減価償却制度を設定し、会計間の資金移動等についても必要な処理と表現方法を導入した。
会計の専門家として一見すると、新会計基準の会計の在り様の方向は適正なように思える。
発生主義原則による「事業活動計算書」の作成(企業会計でいう損益計算書)、旧基準で切り返し仕訳と言われた固定資産と固定負債の計上処理の改定、自己資金で取得した減価償却資産の償却費計上等々、会計としては本来あるべき姿に近い描きであると指摘できる。
しかし、利用者から利用料の徴収をせよ、利用者が選べる差別化をせよ、自己責任・自己努力で経営を改善せよ、という支援費制度を前提とした国・自治体の財政負担の削減の施策の下で提起された新会計基準は、現場の要求から生まれたものではない。
むしろ、この間各分野例えば、独立行政法人会計基準や公益法人会計基準改定、医療法人会計基準の新規制定、など一連の市場経済進展、民営化や規制緩和、自己責任と受益者負担などの考え方が背景であると見なすことができる。
福祉の分野は依然として国自治体等行政との関わりが強く、社会福祉法人にしても無認可作業所にしても、決められた新会計基準に準拠していくことが要請される。
無認可作業所は必ずしも適用強制されるものではないが、法内化への取組や、最低限の資金収支計算書の複式簿記処理など守るべき或いは確立すべき課題がある。
さらに言えば、本来、障害者施設や事業に相応しい会計の在り様や会計基準の探求を、もっと目指し取り組むべきことと言える。もとより障害者支援の施設や事業の社会的在り方すなわち財政の負担の在り方の議論と密接に関わることも言うまでもない。公的負担、利用者の出資拠出、役職員の出資拠出、家族・地域住民らの出資拠出、そして事業活動剰余、受ける側も拠出する側も寄付金免税優遇制度を適用する課題など、障害者と共に「社会的に共生する」ための「在りよう」の模索が、今日、必要である。
4.「きょうされん」と洗瓶工場
人の紹介で「きょうされん」と出会ったのは今から17.8年前に遡る。今の「きょうされん」の到達規模は、その頃の発展が原点である。
きょうされんは、全国の無認可の小規模作業所を中心に組織化を果たし発展したきたが、3.4割が法内施設化すなわち社会福祉法人認可を受けている。
最初に関与した頃から、経営管理、民主経営論、管理と労働、情報公開と会計制度、帳簿記録と決算書、団体課税と消費税などの分野でときどき呼ばれては話をしてきたが、今日、支援費制度の導入、会計基準の変貌、自主・自由・自己責任の名の下での民営化・営利化のにおいが濃厚なときに、再び、三度と課題を整理し、自らにも、社会にも提起をしていくことが要請されている。現局面の闘いは極めて重要である。
一方、10年ほど前に東京昭島市に誕生した社会福祉法人きょうされん(理事長秋元波留夫)は、共作連の組織の総力を挙げて立ち上げた障害者の福祉工場である。その事業は東都生協らの回収瓶を洗う仕事である。
しかも知的障害者と精神障害者が同じように工場で働くという希な福祉工場なのである。
希な、というのは縦割り行政の下では、知的障害と精神障害では、管轄行政部署と制度が異なっているからに他ならない。支援費制度に転換された今日でも、精神障害者施設は支援費制度に含まれておらず、助成事業とされている。施設の会計も制度毎に区分経理しなければならず、煩雑で不合理な会計と決算になっている。
このような授産施設を抱える社福への新会計基準の適用は、今年すなわち2003年度が期限とされているため、本年度に導入する障害者施設社福が多いと推定しているが、なかなか自分たちで決算や決算書を十分に理解し取り組む組織は多くはない。
この洗瓶工場では新会計基準より以前から、洗瓶機械の減価償却を実施してきた。減価償却などは全国的には認められなかったが、洗瓶機械の更新資金としての回収という意義で始めたものだった。しかし東京都の検査等ではいつもぶづふつ言われていた。
またここで働く障害者達は3万から5万円前後の月額対価の交付を受け、僅かだがボーナスも支給されている。しかし、洗瓶事業や付随的に取り組んででいる健康食品事業などは、景気の低迷等もあり伸び悩んでいる。安定的に施設や機械の更新や修繕投資をする財政基盤は充分ではない。
「きょうされん」は、作業所作りの運動の中から生まれ、組織化を果たし拡大してきた。同時に行政への働きかけを懸命に取り組み、一定の助成制度等を産み出し、その役割は極めて大きいものがある。そして自ら獲得してきた仕組みや制度等が変革の過程にある今日、再び原点を見つめつつ、より深くより広く、より合理的な取組をしなければならない。
その原動力は、「連帯」に求めることとなろうし、非営利・協同の輪の形成にあると言える。
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