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コラム・エッセイ

続・ぶらり神楽坂
2004/06

 ようやく協働のホームページが、世界デビューの運びと相成った。漆黒のラブラドルリトリバーである我が輩は、ザ・バランス(協働季刊紙でバックナンバーをご覧頂ける)のお陰で全国的にその名を知られているが、このコラムを獲得すべく熱い闘いが繰り広げられたことを報告せずばなるまい。全国の数多くの(?)フアンの皆様のご支援に支えられて、我が輩の口述コラムを常設化することができたことは、我がご主人(坂根利幸)らの主張する非営利・協同何とかにとっても、大きな力になることは間違いないところである。
 この2月に四歳となった我が輩は、風薫る5月の心地よい早朝、ご主人を日課である散歩に連れ出したものの、いつもの千鳥ヶ淵コースとは反対の新宿方面に歩き始めている。オイオイ、どうしたんだいと吠え立ててみたが、我関せずの様相のご主人は、何かの決意を秘めた様子にてコースを戻す気配はない。
 この新宿方面コースは何度か散歩してみたが全くおもしろくないのである。なぜかといえば、緑の植え込みもほとんどなく、大きな公園にもぶつからず、ただ歩き続けるだけであり、アスファルトのせいで足の裏を痛くするのが落ちなのである。
 おやご主人の歩みが遅くなってきた。右側は市ヶ谷の自衛隊駐屯基地である。基地の門衛とその近辺は自衛隊のイラク派兵以来警戒厳重となっているが、ご主人が小さな声でなにやら叫び始めた。「シュプレ・・・・・、自衛・・・・・は撤収し・・・・!」、蚊の泣くような声で聞き取れなかったが、正門を通りすぎた頃、「ジョン、昼間はデモやら行くことは不可能だから、こうやって二人でデモっているんだ。お前も毅然として歩け!」デモって何だ、我が輩にはよく判らないが、とにかく意味不明の叫びは収まった。
 この辺りから上り坂となるが、この自衛隊の駐屯基地は、江戸開府以来、甲州方面の防備のために御三家の一つの尾張藩上屋敷を設置したもので、明治維新の後は陸軍士官学校となり、戦争中は陸軍省や参謀本部など戦争機関の中枢が設置され、敗戦後は極東国際軍事裁判所となった場所である。古い話だが三島由紀夫事件で脚光を浴びたが、昭和33年に日本に返還されるまでは米進駐軍に接収され続けていたとは知らなかった。
 この駐屯地をぐるっと廻ると、その広大さが判るが、我が輩とご主人は足早に矢来町を経て、牛込北町の信号に差し掛かった。牛込という地名も今や想像できないが、この地の豪族であった大胡氏(後に牛込氏と改名)の出身である赤城山麓で営んでいた牛らの放牧を持ち込んできたことから名付けられたようだとご主人はいう。つまりは昔は牛のくそだらけであったのだ。東京には馬込とか駒込とか牛や馬のたまり場だった場所が多く、昔は大変のどかな雰囲気であったことは想像するに難くない。
 ここから我が輩の住居までは目と鼻の先となる。北町、納戸町、払方町を経て、我が家のある砂土原町に続いている。我が住まいの辺りは、江戸時代初期には開拓地であったという。本多佐渡守の屋敷があり、佐渡原という地名となり、そこで採れる土砂を運んで外堀の北側を埋め立てて田町(市谷)という町を作ったとされている。先日、テレビで神楽坂の街特集が放映されていたが、我が輩の住む砂土原町もぎりぎり含まれていた。
 今日は労働者の祭典たるメーデーの日だが、ご主人は事務所で会議とのこと、非営利・協同のサポーターには暫しの休息も無いほどである。我が輩もご主人に毎日の早朝散歩を励行させつつ、江戸の街の名残を皆様方にお伝えしていく所存である。目の前の我家では、8歳上の義兄のクロが玄関で出迎えのために座っているに違いない。彼は忠犬ならぬ忠猫なのだ。
2004/06(口述:ジョン & 筆記:坂根 利幸)

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