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コラム・エッセイ

ジョンの暑中見舞
2006/08



 2006年夏真っ盛り、読者の皆様には心中より暑中お見舞い申しあげる。吾輩、ほぼ1年ぶりのお目見えにて、お久しぶりにござる。漆黒のラブ犬の吾輩は、半年前に6歳に成りもうした。居候先の坂根家のご主人は、もうすぐ還暦とかで、お互い、毎朝の散歩も少し枯れてきた雰囲気に成りつつある。

 夏至から1月以上も過ぎて昨夜も蒸し暑かった。少し、日の出が遅くなってきたので、5時というのにご主人はベッドの上で俯せ状態だ。今日は8月の頭であり、早朝から外の熱気が忍び込んで来ている。中年に達した吾輩は若いときのように、ご主人の頭に頭突きを喰らわせて起こすなどの乱暴な仕草は慎んでいる。ゆったりとした時の流れにまかせていれば、そのうち「成るように成る」と悟ったのだ。

 おや、ご主人が目覚めたようだ。少し血圧の高いご主人は目を覚ました瞬間にベッドから降りて、無言の内に着替えを始めた。まず同胞の絵柄がプリントされたTシャツを着込み、ハイソックスを履いてから短パンを身につけている。先日、軽井沢でゴルフコンペを主催したときに、珍しく短パンを買って持参したが、ズボンの丈でスコアが良くなるわけはないのだ。でも帰って来てから「足下がスースーしてスコアが悪くなった。」などと訳の分からないことを喚いていた。それ以来ときどき吾輩との散歩の際に、その短パンを身につけ、おまけに「紳士たるもの、短パンにはハイソックスだ!」などと言い、すね毛など見えない膝下を奇妙な色のソックスで覆っているのだ。「枯れる」という意味がご主人は判っていないと思うが、漆黒の色の吾輩の身体には何色でも美しく映えるので、仕方なく付き合っている。
 沢山ポケットのある短パンに、ティッシュやビニール袋などの七つ道具を詰めている。吾輩の朝の生理現象の始末のためであることは言うまでもないが、足りないときもあり予備の品々を入れた小さなポシェットもぶら下げている。そして最後に煙草を掴んで「さぁ、ジョン、行こうか!」と言いつつ、母さんの所へ行く。「行って来るよ!」と叫んで階下に下りる。
 玄関で赤色の帽子を被り、ご主人がリードの付いた首輪を吾輩にかけて外へ出た。最近、ご主人は帽子に凝っていて、いろんな色の帽子を幾つも持っている。毎朝のように、帽子選びを実行しているが、ご主人は「人生の黄昏」を、なにかファッションで表そうとしている、と言うのは言い過ぎだろうか。ま、昔から「可笑しい人」であることは自他共に認めているので、何も驚愕することではない。何時だったか、ご主人の仲良しの庄内の方から、立派な酒が届いたことがあったが、「ご主人にうってつけの酒」、という能書きと共に「独りよがり」という銘酒が届いたのであった。それを見た母さんが、「ほら、私だけじゃないのよ、貴方の評価は皆一緒よ!」と叫んで、悦に入っていたこともあった。

 いつもは家を出て、靖国から北の丸、江戸城か麹町・平河町方面もしくは四谷見附、迎賓館、清水谷方面などへ行くのだが、おや今日はまったく違う、家の前を北に行き、鰻坂を下りていく。この坂道はまったく真っ直ぐではないことからその名前となっている。江戸の頃より続く坂を出て、牛込中央通りを横切り、鷹匠町の方へ行く。なるほど今日のコースは逆回りなのだ、と判った。

 鷹匠町は大きな印刷会社が大半を占めているが、我が家は今の家が出来る間、半年ほどこの鷹匠町で借家をしていたらしい。吾輩がまだ存在していない頃なので吾輩の記憶はないが、同居している虎猫のクロによれば「よく覚えている。マンションだったので、外へ出れず往生した。」と言っていた。 D印刷の工場の間の路を進んで左折する。しばらく下ると外堀通りに出て市ヶ谷見附の橋を南に渡る。市ヶ谷駅前の交番の前で吾輩は少し歩調をゆるめる。ここで帽子を被ったおじさんが、いつも元気に「お早う」と言うのだ。おや、今日は居ない、中で仕事をしているのか、まぁいいか。我々は日テレ通りを南へ上っていく。

 今年の梅雨は西日本などで大きな被害をもたらしたが、東京もよく雨が降った。昨年は空梅雨に近く楽だったが、今年はご主人と吾輩はカッパを着て出かけるときがえらい多い梅雨だった。吾輩にとっては、カッパは行動が制限されるし、暑苦しいし、嫌いである。しかし、ご主人は「雨に濡れてしまうとジョンの身体を洗浄することが必要」と言い、「仕事へ行く時間が遅くなる」と言い、強引にカッパを着せるのである。しかし、正しく枯れてきた吾輩は無駄な抵抗はせず、他者との穏やかなる協調を大切にしようと心がけているのである。よって雨の日にはカッパを着て散歩に出掛けることになる。

 我々は、イスラエル大使館の後ろの路を左折し東へ進んでいく。この路は吾輩が好きな花壇が多く、草花をなぎ倒さないように吾輩を見張りつつリードを握るご主人との熾烈な闘いとなりうるところだ。もっとも、ご主人はリードを緩急自在に操って、飄々と進んでいく。ひょっとしたら、ご主人も枯れてきたのかもしれない。

 むこうに、仲良しのサモエドが歩いているのが見えた。もそもそと、ゆっくり歩くこの犬はスピッツの原産種犬だが、真っ白で大きな犬だ。3,4歳年上だが随分と年寄り犬になってきた。吾輩も何時かはああなるのかと思うと一抹の侘びしさを感じてしまう。いつもおばさんが一人で連れているが、他の犬にはほとんど関心を示さない奴なのに、なぜか吾輩にだけは懐かしそうに小さな声をあげるのである。非営利・協同のご主人に薫陶を受け続けている吾輩は、来るものは拒まずのスタンスであり、「友よ!」と吠えてあげた。鼻をこすりあう我々を見て、おばさんは自身がキスされたかの如く「嬉しいねぇ」と言う。

 再び歩き出すと、ご主人がしみじみと話し始めた。「ジョン、こんな世の中になるとは思ってもいなかった。若いときに思いめぐらした日本の将来がこんなに弱者に厳しい姿になるものとは思いだにしなかった。俺はもうすぐ還暦となるのに、啄木の如く我が暮らし楽にならず、我が仕事先の医療、介護、福祉、障害者、労組、団体みな、チョー厳しい環境だ。父さんには金もないけど時間はもっとない。ジョンと朝晩の散歩が出来る、そんな暮らしはとうてい望めないぞ。判っているんだろうな!」
 ここで、ウーと吠えるほど吾輩は若くはない。吾輩はただ黙って貌を見上げて悲しそうな顔をして見せた。「そうか、判るか。」と御主人は「よし」と叫んだ。実のところ喉が渇いて仕方ないので悲しい顔となっただけなのだが、おぉ自販機が見えた。少し歩みを遅くすると、ご主人が気が付いた。「よしジョン、水だ。」
 大成功、公園の生ぬるい水はたくさんだ、自販機の水は冷たくて美味しいので大好物だ。ご主人はポシェットから小銭を取り出して水のボトルを買い、持参のビニール袋に中身をあけて「ジョン、水!」と叫んで、吾輩の前に屈んで用意する。「美味い」、汗のかけない吾輩は身体の中に溜まった熱気は、舌で外気を入れて冷ましてやるか、水を飲んで中から冷やすしかないのである。あぁ、生き返った。丁度、散歩の行程の真ん中だ。

 英国大使館の前庭に出て北へ進む。イラク派兵の時から、ここは機動隊が24時間警護している。大使館の前後左右に数人の歩哨が立ち、彼らは大半我々に挨拶する。大使館の正面は機動隊車輌が警戒している。そのまま真っ直ぐ北へ、靖国神社に向けて我々は行進を続ける。週に数回は靖国神社を通過する我々は、本当は日本で最も敬けんな二人組なのかもしれない。もっとも吾輩が時折、神社で生理現象に見舞われることから、2年ほど前から吾輩らは本殿の方へは立入禁止となってしまった。
 ご主人のお父さんの弟二人が戦死していると聞いたが、家族が靖国神社にお参りした、という話は一切聞いたことがない。もうすぐ終戦の日で、この辺りはマスコミと右手の人だらけと化し、我々一般庶民は肩身の狭くなる季節となるのだ。

 「ジョン、その日が何時かはまだあかせないが、ほら昨年バスクで買ってきた赤いベレー帽、あれを被るんだ。そのとき、堂々と神社を通ろう。英国大使館の前を格好いいベレー帽が通り過ぎたら、SASの隊員と間違われるかもしれんぞ。バスク人の気概、ナチに抗して闘ったパルチザンのシンボル、祝いの時に被る習慣だ。非営利・協同の父さんの祝いの散歩に相応しいこと、この上なしだろ、ジョン。」と言う。おぃおぃ、勘弁して欲しいな、枯れてきたのではないのか、やはりファッションと勘違いしてはいないのか。ご主人は昨年、6年振りに訪れたバスク・モンドラゴンで、欲しかったベレー・ロッホ(赤という意味)を買って帰ってきた。大体、バスクのベレー帽は広がった作りで、被るとどっちかが垂れ下がり、ご主人が被ると貧相な大黒様のようにしか観えないのだ。仕方がない、その日は下を向いて歩こう。

 靖国を過ぎて左折していく。法政大学の東側の道路が封鎖されている。テポドンの国の関係団体施設があり警戒されているのだ。先日のミサイル発射の直前には、いったん封鎖は解除されていた。多分、発射はない、と判断したのかもしれない。その日、吾輩とご主人が朝5時頃、丁度靖国の手前に差し掛かると、いきなり目の前に機動隊車輌が5台、唸りをあげてやってきたのである。何なのかと思って、ご主人を見上げると「そうかっ、発射したんだ!」と叫んでいた。吾輩は訳が分からなかったが、帰宅後に母に聞いて事の次第が判ったのだ。我々は封鎖されている道路を警官の了承を得て通過するときもあるが、今日は大人しく、枯れた素振りで、立ち番の警官を横目で見ながら、西へ下った。

 「ジョン、もう直ぐ世の中は夏休みだ。でもなぁジョン、非営利・協同の世界に関わる俺には、いつもの通り夏休みもない。心身は枯れてきても、仕事が枯れないのだ。この20年来、公私ともにアレコレと種は蒔いてきたが、放っておいても繁殖するほどまでには至っていないのだ。俺の時間あたりの効率は随分劣化してきているが、スタンスを枯れさせることで何とか凌いでいるのだ。ちょっと前までの自分ではない、ということを自身に納得させるために、ファッションにも少し気を使っているのだ。ジョン、お前ももう少し優雅に歩いた方がいいぞ、まだ歩く身体がごつく感じる。ダンディかつ、しなやかで華麗な『身体の動き』を工夫するんだ!」

 頭の上でブツブツ言うご主人を振り仰ぐことなく、ひたす我が家を目指して外堀通りを渡った。要するに、歳相応の人生をおくれ、ということだ。同時にご主人の人生は歳相応の過ごし方の出来ない、つまりはあまり変えようがない人生、ということだ。でも、ベレー・ロッホを被る日は要注意に違いない。ほかの人は、「切れたときのご主人には近寄れない」、と言う。法政大生協の前を過ぎれば我が家は直ぐだ。 陽が高くなり、我が身体は熱中症気味となっている。
 読者の皆様、暑さに負けず、ご自愛下され。
2006/08(ジョン&坂根 利幸)

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