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ベレー・ロッホ
2006/12
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先ほど帰って来たご主人(吾輩の育ての父)は、いつになく落ちつかない。机の前の椅子に座ってタバコをくゆらせつつ考え込んでいる。吾輩はご主人のベッドの上で横になりながら黙って空中を見つめている。漆黒のラブラドル・レトリバーである吾輩は、もうすぐ7歳に相成るところだ。中年太りのせいか、キチンとお座りするのは苦手であり、こうやってベッドの上でゆったりとした時を過ごすのが大好きである。
「ジョン、明日は大切な日だ。おまえも心しておけよ!」 ・・・・・・・
一体何のことか吾輩には分からない。1月ほど前と同じことが起こるんだろうか、背筋がゾクゾクしてきた。11月の終わり、吾輩は突如、家に現れたお姉さんにいきなり車に乗せられたのだ。連れて行かれたのは新宿の、とあるビルの一室で、そこはどうも吾輩のようなペットを預かる場所なのだ。
どういうわけか、そこには吾輩の「実の母」がおり、数年振りの再会となったが、マリア(実の母)の存在により、我が家に戻るための闘いをする気持が萎えてしまった。夜になり、吾輩のみ、小さなゲージに押し込められた。夜が更けるにつれ、だんだん我が家族のことが心配になってきた。吾輩の育ての母や父、兄弟たちは、吾輩が居なくなってからどうしているのか。この部屋には家族は居ないことがはっきりしているが、父母たちは別室に閉じこめられているのかもしれない。吾輩の今の家族たちは、元来が非常に寂しがり屋で、毎晩、少しずつ吾輩が一緒に寝てあげないとパニックに陥るのである。
吾輩は募る心配心から、ゲージの鍵を壊すべく、黒い立派な鼻を活用して、何度も脱出を試みた。しかし、鼻で鍵をこじ開けるための30分ほどの取組は結局、挫折してしまった。吾輩の大きな鼻の皮が一枚、完璧にむけてしまい痛くてかなわない、吾輩は英国産だが日本男児なので泣きはしないが、もう誰もやってこないので一人、寝ることとした。後からわかったことだが、吾輩の家族は「父の還暦記念」とやらにて、秋の京都に旅をしていたらしいのだ。要するに、吾輩を「おいてけぼり」にして。5人で優雅な古都の秋を満喫していたのである。翌朝、出勤してきたお姉さんが吾輩の血だらけの鼻と顔を見て、びっくり仰天して、旅先の家族に一報を入れたらしく、吾輩のゲージ暮らしは1泊だけ早めに切り上げられることとなった。
吾輩に起こった不本意な出来事を思い出し、父の言う「明日は大切」というのは、また年末家族旅行とかを画策しているのかもしれない、という不安をもたらしたのだ。思わず父を睨みつけた。父は。「ジョン、さぁ寝るぞ、ベッドを降りろ!」と言いつつ、布団を直し始めた。
父は暑がり屋なので、吾輩が布団の中に潜り込んでしばらくすると、暑いから出て行け、と言ったりするが、今夜はもう静かになった。この様子では、明日は再びのゲージ暮らしではなく、何か父固有の企画があるに違いなく、少し安堵して吾輩も眠りにつく。
今朝は寒い。一度床に下りて布団の中に入り直したが、父は起きない。いや違った、父は目覚めているが何か考えているようだ。よし、父が布団を跳ね上げた。吾輩もベッドから下りて父を見つめる。父はいつもの通り、吾輩との散歩のための支度を始めている。父は身支度を整えると椅子に座りタバコに火を付けた。健康に悪いなどとの考えは一切なく、平然と、しかし何かの決意を秘めた顔つきで、自身の口から吐き出される煙を目の端で追いかけている。「よし、ジョン、今日は僕の祝いの日だ、60年に一回のな。しかしジョン、僕には二回目は来ないから、今日は最初にして最後の還暦を祝う日だ。」
そうか、今日は父の誕生日で、しかも60年目と言っていたっけ。よかった。父の祝いの日であって、吾輩を見知らぬ場所に送り込むことではないのだ。それなら、吾輩も心を込めて父の還暦を祝ってやることにしよう。
父は棚の奥から「赤い何か」を取り出している。父は朝の散歩ではいつも、ゴルフ帽を被るのだが、おおっ、何だかへんてこなものを頭に乗せた。「ジョン、、格好いいか、これは1年前にバスク・モンドラゴンに取材に行ったときに、サンセバスチャンの町の店で買ってきたんだ。今日という記念日のためにな。なにしろ、パルチザンの先頭を切っていたバスク人の「闘う男のシンボル」だし、めでたい時に被るもの、と話していた。僕がこれを被るのは、今朝以外にはないぞ、ジョン。」
しかし、父の頭に乗っている代物は帽子というよりも「袋」に近い。端っこが少し垂れ下がっている。父の様相は何だが「大黒様」に似ている。「ジョン、このバスクのベレー帽はこうやって少し斜めに被るんだ。ほら、ナチに抵抗し続けた闘士の如く格好いいだろ!支度は終わった。さぁいこう!」
玄関に降りてきた母が父の頭のベレー帽を見ながら、声を出さずに笑っている。「ジョン、お父さんと誇らしげに歩くのよ!」と言う。誇らしげというのは吾輩の本質そのものであり、四谷や麹町や永田町界隈では皆が吾輩を尊敬のまなざしで眺めているくらいだ。もっとも父は、「ジョンそれはお前の錯覚で、みな真っ黒なお前が時々突進するから怖くてお前の動きを見張っているだけなのだぞ。」などと、見当違いのことを呟いている。まぁ、しかし今朝はお目出たいのだから、出来るだけ「しずしず」と歩いて見せようぞ。
吾輩と父は、週末の定番コースにて市ヶ谷駅を左に見つつ四谷に向かう。野球場のある散歩道はまだ暗く、吾輩の好きな銀杏などの落ち葉がそこかしこに溜まっていて何とも楽しい限りだ。父は、ベレーを気にしてか、ときおり垂れ下がる端っこに手をやりつつベレーの座り具合を確認している。「ジョン、このベレーの「赤」は見事だろ、10年前にモスクワに取材に行ったときに、立ち寄った「レッド・スクエア」は、赤の広場と言われているが、赤と訳されたロシアの言葉は、実は「美しい」という意味と聞いたんだ。つまりは、赤は美しいということなんだな。このバスクのベレー帽も見事な赤だし、スペインではワインは赤と相場が決まっている。赤いバラ、ローズ、ロゼ、みな美しいという意味が込められているのだ。僕はバスク語は分からないので、この帽子を、ベレー・ロッホ、と呼んでいるのだ。60歳となった今朝、誰もいない小道を、薄暗い小道を、ベレー・ロッホを被り、敢然と前を見つめつつ、戦い続けた闘士らしく歩く僕の姿は、まさしく我が60年を象徴していると思わないか、ジョン、大体、ほかの家族にも見せたいもんだよなぁ。」
吾輩が知っている父の人生はたったの7年間であるから、父が何とどう闘ったのかなどは判るわけもないが、もうすぐ大好きな迎賓館前に着くことから、同意するかの如く何も言わず、しずしずと歩いて見せた。
迎賓館の前から上智大学側の土手にまわり、四谷駅方向に戻る。おや父がリードを外してくれた。この土手は同胞たちに出会うときとそうでないときがあり、父は人の姿が見えないときには束縛を解いてくれることがある。吾輩はあっちの繁み、こっちの樹木など同胞の痕跡を求めて動き回る。リードなき生理現象ほど心地よいものはなく、常々解いてくれるような眼で訴えるのだが、父はなかなか許してくれない。ときどき吾輩が同胞たちに襲いかかるように見えるかららしいが、実のところは遊んでやるつもりで吠えているのである。でも同胞も人も後ずさることがしばしばで、吾輩の気持ちが通じないときがある。世の中が荒んでいるからに他ならないと思っているが、父は吾輩に「寛容さを持て」と言っている。英国紳士犬の吾輩には、捨てることの出来ない気高さがあるのだ。そういえば先般、この道を二人で歩いていたら、後からジョッギングしてきた外国人の美しい娘さん二人が吾輩ら二人に「グッ、モーニン!」と言いながら駆け抜けていった。父はワンテンポ遅れて「モーニン」と返した。20メートルぐらい先まで駆けていた娘さん二人が立ち止まった。父は小声で「ほらジョン、僕の発音が良いから立ち止まったんだぞ!」と言う。我々が歩いていくと、「美しい犬だわ、何歳なの、名前はなーに?」などと英語で聞かれた。とたんに父は、しどろもどろ状態になったが、何とか答えを返して、娘たちは「グッバイ」と言いつつ、駆け去っていった。父の顔を見つめると、「ジョン、本当はあの程度の会話は何でもないんだ、でもあの娘たちの見事なプロポーションに見とれて、頭が混乱しただけなんだ。」と訳の分からないことを呟いていた。それから、この道を歩くとき、「ジョン、あの娘たちにまた会いたいだろ?」と、犬をだしにしたことを言う。吾輩には「還暦」という歳の意味がよく判らなくなってきた。父は、青春に戻る意味と勘違いをしているのかもしれない。
二人は四谷駅を抜けて雙葉学園の前を通り麹町をかすめて、市ヶ谷駅の前を通過し外堀に戻った。「よしジョン、見るな、皆が、僕の凛々しいベレー・ロッホを見つめている視線を感じる。信号が変わるまでじっとしていよう。」と小声で言う。違うんだ、みんなが見ているのは、信号に従って凛々しく座っている吾輩の愛らしい姿を愛でているだけなのだ。まぁしかし、今日はめでたい日だから、異論は差し控えよう。ほら我が家が見えてきた。珍しく母が立って見ている。二人の方を見ながら声を出している。「おかえり、ジョン」
家の中へ戻った母がカメラを手にしてきた。「ジョン、今朝はお父さんの記念の日だから一緒に写真を撮るのよ、さぁ二人とも、にっこりして!」
父はベレー・ロッホに手を伸ばして帽子の座りを直して、レンズを見ているようだ。3回シャッターの切られたレンズの向いていた方向は、紛うことなき吾輩の方だったことは、視力の減退した父には判る由もない。
2006年が終わり、新年となる。父の仕事は口癖の通り、「非営利・協同」とかで、「還暦でも休む暇はない、しばらくは仕方なしか?」と父は言っていた。父が年相応の仕事振りとなり、出来得れば吾輩が散歩に連れ出す機会が些かでも増えますように心から祈念している。全国のジョンのファンの皆様、新たな年が僅かでも喜びをもたらすような年となりますように、言うべきことを言い、なすべきことをする、吾輩同様に頑張り続けることが肝心ですぞ。
2007年も、どうぞよろしく!
(2006年末、ジョン&坂根 利幸) |
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