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コラム・エッセイ

凛々と!
2008/01

 
 除夜の鐘の音が聞こえてくる。我がご主人つまりは我が父であるが、今年最後の風呂に入っている。吾輩は、今朝の散歩の後に全身を洗い清めてもらったので、浴室の前で待機しているのだ。
 「ジョン、あと少しでお前も8歳だぞ、人間なら中年真っ盛りだ。少しは凛として歩けよ!」 

 「リンリンとしてって何だ。鈴を付けて歩けってことかな、クリスマスにもらった味わい深い音の出る鈴が付いた首飾りのことかもしれないな!」 
 おっとご主人が浴室から出てきた。吾輩は新年を迎える厳粛な気持からしっかり正座して、ご主人を見つめることとした。
 「ジョン、神妙に座って、どうした。そうか、眠くて仕方がないのだな、すぐにベッドだよ!」
 還暦を超えて2年目に入るご主人の身体は筋肉が落ち肌の張りも失せつつあり、見るに耐えないので思わずフローリングを見つめた。
 「ジョン、明日の元旦は江戸城を回ろうぞ、ジョンの一番好きなコースだ。」
 まぁいいか、明日は久しぶりの2時間コースだ。
 吾輩はご主人と二階へ上がり、ベッドに潜り込んだ。漆黒のラブラドルレトリバーである吾輩は、体重が40kgあり、ベッドの半分を占領してしまう。でも優しいご主人は、横向きになって眠り始めた。
 今年の我が家はいつもの年の如く喜怒哀楽に充ち満ちた1年だったが、そのトップは、吾輩の兄のクロがその生涯を全うした出来事だった。
 1992年夏に我が家族が欧州旅行中に生誕した虎猫のクロは、最後の瞬間も何も叫ばず、本当に静かに身罷ったのだ。母も静かに涙していた。
 今は亡き兄は、吾輩のようにご飯くれと吠えもせず、ただじっとキッチンに座っていたが、ああいう姿を、「凛として」と言うのかな、よく判らない。さて108の鐘も終わったらしい、吾輩の脳は小さくて煩悩など無縁だが、とにかく眠いので、クロに合足(掌)しつつ、おやすみだ。

 目覚ましが鳴っている、身動きをしたら、ご主人も目を覚まして慌てて止めている。昨夜はいつもより遅い就寝だったので、ご主人はまた布団に潜ってしまった。
 早朝の日課である街の見回りに出かける自覚を大事にしている吾輩は、ベッドから降りたが、ついでに布団も引きずり下ろしてしまった。
 「ジョン、寒いじゃないか、ま、しかし元旦だ、凛として起きよう。」何だ、たかが起きるのにも「凛々」とか言っているぞ、今年も気が置けない年になりそうだ。でも仕方がない、毎朝の見回りは大半がご主人だからね。

 ご主人は、おせち料理のセットに大忙しの母に声を掛け、お気に入りの茶色の鳥打ち帽を被り、吾輩を本年最初の散歩に連れ出した。6時半だというのに、何となく街がざわめいている。初詣帰りか、いつもより歩いている人々の姿が多く、大半が散歩という姿ではない。

 外堀通りに出るため、ご主人と47段ある階段を下りて、一口坂へ通ずる信号で待つ。ご主人が待てと言うので正座して青になるのを待っていると、隣に立った見知らぬおばさんが「まぁ、賢いワンちゃんねぇ!」と言う。吾輩は無視した。
 大体、おばさんはあまり好きではない。先日も、前から来たおばさんが、「まぁ、赤ちゃんが生まれるのね、赤ちゃん、赤ちゃん」とニコニコ叫んでいた。吾輩とご主人は思わず見つめ合った。
 吾輩は男であり、何たる無礼な言いようだ。そのあと歩き始めたご主人はこう言った。
 「ジョン、みっともないこと思い知ったか、いつも間食して膨れたお腹を見て妊婦さんと間違われるなんて、我が家の恥だぞ!」
 吾輩だってなりたくて太鼓腹になっているわけではないのだ、1日2回、散歩に連れて行ってくれれば、我が勇姿を保てるのに、と思ったが笑い続けるご主人を見て、ただ黙って歩き続けた。

 信号が変わり、橋を渡って左の外濠公園の土手に入った。ここも大好きな場所だが、住み着いているホームレスの人は無愛想なので吾輩は近寄らないこととしている。右手の法政大学を過ぎて、逓信病院の先で土手を降り、南へ向かう。旧○○総連の裏側の通りを南に歩く。いまだに機動隊が裏の警備もしている。数年間、この施設の周りで数々の事件を目撃した我々は、隊員にも挨拶をしつつ通り過ぎる。

 今朝の靖国神社は、初詣のとぎれた時間帯だが、それでも人が多いので、靖国の麓をかすめて九段下へ向かう。九段下の交差点を南へ渡り、交番のお回りに挨拶し、千鳥ヶ淵方向へ向かう。九段会館を過ぎると、いつもは北の丸公園に通ずる門に向かうのだが、今朝は真っ直ぐ小さな歩道を進む。信号を渡り江戸城とお堀を右に見ながら、我々は時計回りにゆっくり進む。元旦でもジョギングをしている人がいて、時々挨拶を交わす。吾輩との散歩が始まる前までは、ご主人はいつも一人で走っていたという。母はいつぞや「父さんはある時、気の狂ったように走っていたのよ。」と言っていた。きっと、いつお目出度ですか、などと言われたに違いない。

 パレスホテルの前で内堀通りを横切り、皇居外苑公園に入る。和田倉門の前の公園は噴水もあり、普段は人もいないので、ご主人は吾輩のリードを外してくれる。
 吾輩が幼い時はここでリードを外してくれなかった。というのも、昔、初めてこの噴水を見た時、そのキラキラしている水面が美しくて、思わず吾輩は飛び込んだのだった。リードを握っていたご主人も、釣られて一緒に噴水に引きずり込まれてしまった。ご主人は平然と噴水の対岸に向かい、飛び跳ねる吾輩を引きずりながら歩き始めたが、そこを通りかかった自転車のお回りが「そこのぉー、そこで何をしているぅー?」と職質した。
 ご主人は「見れば判るだろう、うっかりして落ちてしまったので、向こう岸から出ようとしているところだ!」と言い、睨み付けたら、お回りは黙ったまま行ってしまった。こんなことがあったが、吾輩は今は噴水には飛び込まないのでリードを外してくれる。
 東京駅を左に見つつ、更に日比谷公園の向かい側の公園を進む。今朝は元旦だが、警備の警官は少ない。明日だったら大変だ。一般参賀の日で警備は厳戒態勢となる。
 いつぞや知らずに、この日に来てしまい、警官らの間を我々が走り回っていると、「そこのぉー、何してる、止まってはいかんぞぉー!」と職質された。
 ご主人は「走っているんだ、止まるわけないだろぅー!」と叫び返していた。とにかくご主人と職質は縁が深く、還暦間際の2年前にも正月の初詣で賑わう穴八幡神社の前で3人の警官に取り囲まれたと言っていた。ご主人は雰囲気に何か怪しさがあるのかもしれない、もつとも、ご主人はいささか眼が悪いので、その目つきの訝しさか何かが職質を誘うのかもしれない。しかし、この辺にも「凛として」が関係しているのだろうか、不明だ。

 「ジョン、お前は幸せな犬だぞ、大体、江戸城を一周している犬なぞ僅かしか居ないのだ。ということは日本で数少ない幸い犬ということだな。」吾輩はご主人の健康管理のために付き添っているに過ぎないのだが、正月に免じて黙っていよう。おや向こうから二匹の黒犬がやってきた。なんと我が同胞のラブだ。年賀の気持で挨拶しよう。吾輩はちぎれんばかりに尻尾を振り、満面の笑顔で見つめてやった。しかしペアラブはニコリともせず黙っている。正月早々、礼儀をしらん犬どもだ。大きな声で叱ってやった。連れていたおばさんがビックリして後ずさりながらいってしまった。「ジョン、吠えれば判るってもんじゃないんだ。ああいう時は、ゆっくりと正座でもして首を傾げるくらいの度量が大切なんだぞ。」そんな女々しそうな仕草は嫌いだ。

 
 日比谷公園の信号の前で江戸城側の歩道に戻り、桜田門の前を過ぎる。ここら辺りの茂みも吾輩は大好きで、あちこちの茂みに鼻を突っ込む。
 「ジョン、この門の辺りは空気が悪いから早く進むんだ、大体ここまで散歩に来る犬はいないんだ、臭いはしないぞ!」と意味不明のことを言う。
 桜田門と言えば、井伊大老事件だが、水戸藩が好きだと言っていたご主人の何かのわだかまりか?
 「ジョン、何をぶつぶつ言っているんだ」と言いつつ、ワルシャワ何とかという曲を歌い始めた。さすがに歳を取ったのか、人が見えると声を落としている。

 最高裁判所の前で信号を渡り、甲州街道すなわち半蔵門前へ進む。途中、国立劇場の前で一休みした。
 千代田区は歩行禁煙なのに、ご主人は、立ち止まり喫煙だとか言って、タバコを吸い始めた。
 「ジョン、今年はえらい年だぞ、父さんの人生では、最初にして最後の超難関の闘いの年だ、この年を本当に、凛として、乗り越えるのだ!」

 毎年のように、今年は大変だ、とかオオカミ少年の如く言っているんだ。いつもと同じに違いない。
 「ジョン、それはお前の認識違いで、全然甘いぞ。大体、お前は、暮れに発表された政府の税制改定案を見たか?」そんなの見るか、そんなの関係ねぇー。

 「ジョン、だからお前はいつまでたっても、非営利・協同犬になれんのだぞ!」またまた、難しい説教をする。
 「ジョン、いつも言っているだろ、我が家は、非営利・協同たるべくして、世に生まれ生きているのだ。アメニモマケズみたいに、南に助ける人あらば行き、のような人生家族なのだ。お前も少しは考えて、非営利・協同家族犬として生き抜く決意を固める必要があるんだぞ!」難しいぞ、凛々と非営利・協同。

 「今度の税制改定は質が大幅な改訂だし、公益法人新法が今年12月に施行されるし、来年には消費税増税となるし、その間で総選挙だ。父さんがもう少し若ければ立候補しなければいかんくらいだ。」
 ワンワン、選挙を勘弁してくれれば何でもいいぞ、非営利でも凛々でも何でもこい。

 「ジョン、判らんといって、やけくそになるなよ、我が協働は、今年20周年だ。父さんはきっと、これが最後の舞台だ。お前も出るか?」
 「1年後には父さんの多分、最後の著作を刊行する予定だ、判ったか、お前も非営利・協同犬として、エサは必要だがエサを第一にせず、家族と協力協同して家と父さんを護る、そんな犬になって欲しいのだ。」

 希望と現実は違う。ま、しかし反論するネタもない吾輩は、黙ったまま父さんの顔を見上げた。
 我々は、そのまま北へ進み、福岡県の施設である福岡会館を左に見て、英国大使館前の前庭たる歩道を進む。二カ所で警護の警官に挨拶し、靖国神社に向かう。

 靖国神社では8時を回ったが、元旦昼の初詣はこれからだろう、多少の人波をよけながら、法政大学の横を通り、家路に着いた。

 「ジョン、よだれが出てるぞ、お節を考えているな、母さんが今年は質素にいく、と言っていたからお前の好きな豚の角煮はないかもな、しかしおいしいハムがあったぞ、少しあげよう。ただし凛々と食せよ、ジョン!」

 今年の初歩きは何だか難しかった。でも我が家は少年探偵団みたいなものだから、勇気凛々、1年を過ごそう。何しろ1年のうち3百日ぐらい雨でも雪でも1時間強、共に街見回りをするご主人がいるのだから。

 全国の読者の皆さま、非営利・協同犬には今少し時間が掛かりますが、少しでも、凛たる生き方を探り続けます。厳しいという本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
2008/01(ジョン&坂根 利幸)

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