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平成30年度の所得税改正は庶民増税だけでなく猛毒も含まれる

 “もりかけ問題”は国の根幹を揺るがす前代未聞の重大な問題である。「働き方改革」も労働者の基本的人権を奪い国際的な潮流にも逆行する重大な問題である。
 しかし、これらの陰に隠れて税制改正が僅かな審議で突っ込んだ報道もされず成立しており、所得税の税制改正について概略を紹介しつつ、主に給与所得者とフリーランスに関わる問題点等について雑記したい。用語を含めて考察したものではないことを予めお詫びしておく。

【所得税の改正の概略】

 平成29年改正で配偶者控除等が改正されたが、平成30年度改正では更に所得控除と基礎控除の改正に踏み込んだ改正になっている。「働き方改革」を後押しする観点から、特定の収入のみに適用される所得控除から、どのような所得にでも適用される基礎控除に負担調整の比重を移していくという理屈である。
 主要と思われる点を列挙するが、法人等にとっては年末調整等の源泉徴収実務が更に複雑になる内容でもある。

(1)平成32年分から、給与所得控除の上限を再度引き下げる。平成29年分は収入1000万で220万が控除上限だが、平成32年分からは収入850万で195万が控除上限となる。ただし、子育て世帯や特別障害者世帯は「所得金額調整控除(増税にならない範囲の15万円が上限、年末調整可能)」を行う。

(2)平成32年分から、給与所得控除と公的年金控除をそれぞれ一律△10万円減らす。同時に基礎控除は38万円から+10万円引き上げる。(住民税も33万円から+10万円引き上げ)

(3)給与所得と年金所得がある場合は、合計△20万円の所得控除が減る一方で、基礎控除の引き上げは+10万円なので、確定申告で「所得金額調整控除(10万円上限)」が行える。

(4)公的年金の控除額の上限を新設し、公的年金等の収入が1000万円超で195万5千円を控除上限とする。更に、公的年金等に係る雑所得以外の所得に係る合計所得金額が1000万円超なら、公的年金の控除額を一律減額する。(1000万円超で△10万円減額、2000万円超で△20万円減額)

(5)平成32年分から、事業所得の青色申告特別控除額の65万円を△10万円減らし55万円控除にする。ただし、電子帳簿保存またはe-TAX電子申告なら65万円控除ができる。

(6)これらに伴い、扶養控除など各種控除の適用要件である合計所得金額は+10万円引き上げる。

(7)更に平成32年分から、合計所得金額が2,400万円~2,500万円は基礎控除額を逓減し、2,500万円超は基礎控除を廃止する。

【フリーランス化を後押しする税制改正だと言われるが】

 今回の税制改正では、働き方の多様化を踏まえ、様々な形で働く人をあまねく応援する等の観点から個人所得課税の見直しを行うとしている。報道でも働き方の多様化のなかで、会社員や年金受給者だけが優遇されているという語りぶりもされている。
 経済産業省は、「雇用契約によらない新しい働き方(フリーランス、アライアンス等)」といった多様な働き方について、課題及び今後の方向性について検討を行う研究会を立ち上げた。働き手の時間やスキルの最大限の活用を可能とし、企業においても多様な人材の確保に繋がることが期待されているとして、 人手不足解消に、新しい働き方としてフリーランスと呼ばれる働き方が有効な手立てとなるとして、フリーランスにチャレンジするためのハンドブックも配布している。

 フリーランスとカタカナにすると好印象だが、個人事業主として請負契約を結ぶので、労働基準法等が適用されず、残業代を支払う必要もなく首切りも容易で、社会保険料等の法定福利費も生じない。フリーランスが企業にとって有益なのは人件費が削減できるからである。請負契約でありながら、実際は企業の管理下で使用される(こき使われる)偽装請負が蔓延しているのが現実だろう。そのことはネットに書き込まれる悲痛な叫び、後悔や忠告などから分かる。正規雇用を減らし、非正規雇用と派遣労働を活用することで利潤を増やしてきた大企業は、それ以上の利潤を獲得するためには雇用によらない(労働基準法等で縛られない)安価な労働力を求めている。フリーランスの立場は弱く、生活のために違法性があっても受け入れざるを得ない事情は想像に難くない。
 過労死、ハラスメント、違法残業、不払労働、偽装請負などといった労働問題を、現行法によって解決しようとする姿勢さえ乏しいのが現政権である。厚労省は野村不動産での過労死を伏せつつ、法的根拠がない特別指導を行った。このことが「働き方改革」法案を通すための恣意的行動ではなかったかという質問に対して、労働局長が「是正勧告してもいいんだけど」と報道機関を脅す発言をした。このことにも現政権の姿勢が象徴されよう。そのような政権がフリーランスを“新しい働き方”として後押しするのは何故だろうか。大企業の求めに応じて、労働問題をフリーランスの自己責任に置き換え、「ブラック企業」と呼ばれることもない社会(世界で一番企業が活躍しやすい国)を作り出すためである。
 しかし、そのような社会は、立場の弱い者同士が競争させられる社会に他ならず、格差と貧困を加速度的に深刻化させる結果となろう。
 個人事業主としての働き方が問題なのではなく、“働かせ方”の整備や個人事業主を支える社会保障制度(高すぎて払えない国保料など)等の整備をしないことが問題なのである。“働かせ方”については、命を削るような無理な契約が横行しないよう、契約においても最低賃金制度のような最低限の仕組みが必要ではないか。

 現政権の政策は、そういった整備をしないままフリーランス化を推進する政策であり、税制についても引き続き見直しを継続するとしている。報道でもフリーランスは応援を受けて減税になるかのような言い回しがされるが誤りだと言いたい。
 フリーランス一本で生活している方は、白色申告なら基礎控除が増えるため減税になるが、フリーランス一本の方が白色申告だとは思えず、青色申告の場合、電子申告等の要件を満たせば減税だが、満たさなければ現状維持である。一方で、大企業はオンデマンドでフリーランスを招聘するので、フリーランス一本で生計を維持できる方はどれほど多いのだろうか。アルバイトも行っている方が相当数だろうと推測される。その場合、アルバイトの給与所得控除が減らされるため、現状維持もしくは電子申告等の要件を満たさなければ増税となる。「あまねく応援する」と言うが、実質は伴っていないと言えよう。

【取りやすいところから取る庶民増税】

 今回の税制改正では「働き方の多様化への対応とともに、所得再分配機能の回復の観点から、各種控除の見直しを行った」わけだが、「多様化への対応」は上記のとおり実質を伴わず、聞こえの良いキャッチコピーに過ぎない。

 私も所得再分配機能には著しい“機能障害”が生じていると思っている。消費税は子供からお年寄りまで遍く課税される(吸い上げられる)一方で、輸出大企業は濡れ手で粟の莫大な還付金収入となっている。分離課税(固定税率)の金融税制はごく少数の富裕層に莫大な恩恵をもたらしている。「トリクルダウン」で庶民も潤うとして大企業への減税を続けるが、「トリクルダウン」は起こる気配も無く大企業は空前の内部留保を溜め込んでいる。その一方で、庶民にとっては実質賃金が連続して減少し、増税と社会保険等の負担増のなかで可処分所得も減少している。また、再分配されるべき税金の使われ方も軍事費(実質的に敵地攻撃可能な装備に踏み込み、もはや防衛費と言えない)や大企業のためのODAは聖域的に扱われている。

 では、現政権の言う「所得再分配機能の回復」とは、どのような“機能障害”があり、どのように“回復”するのだろうか。税制改正大綱(主に与党大綱)を見ながら考えてみよう。
 所得再分配機能は世界大恐慌後の資本主義国の社会経済の安定化政策として生まれたもので、市場経済による所得の分配は社会的には適正ではない格差をもたらすため、生じた格差を累進税率や社会保障・教育制度を通して政策的に是正する機能である。税制については、格差を是正するのだから、税金を負担できる能力に応じて負担すること(応能負担)が原則に位置付けられる。日本においても憲法(前文、9条、25条)ですべての国民に平和的生存権を保障して社会経済の安定化を意図している。日本国憲法で保障される平和的生存権は、生命を維持できる水準などではなく、到達可能な健康で文化的な水準を国民が等しく享受できるものである。従って、これを担保する税制は応能負担が大原則となる。
 ところが大綱では応能負担に着目した議論が欠落して(させて)おり、趣旨が異なるもの(或いは趣旨を矮小化したもの)を形式的に比較して“ずるい”をテコにした議論にしていると言わざるを得ない。

 給与所得控除について考えてみよう。給与所得控除の水準について「実際の給与所得者の勤務関連支出に比しても、主要国との比較においても過大になっている」から主要国並みの水準にすべく見直すという基本方針で、平成26年度改正で第1段階の引き下げを行い今回は第2段階の引き下げである。
 ところで、今回改正で給与収入が1000万円超(子育世帯等以外は850万円超)は「高所得者」とされ増税となるが、本当に「高所得者」なのだろうか。俗に“老後資金3000万円”と言われていたが、近年の“老後破産”の増加のなかで“都市部では3000万円では足りない”と言われている。「高所得者」とされた所得層(平成25年は1500万円超、平成28年は1200万円超、平成29年は1000万円超、平成32年は850万円超)は、老後資金を無理なく蓄えられる所得層なのだろうか。私の実感からすると“子供に手がかからなくなったら親の番”で、かなりキツい。また、こういった所得層は個人消費の主軸であり、増税は消費不況に拍車を掛け続けることになろう。
 「アベノミクスの恩恵を隅々まで拡げる」と言っている。「アベノミクス」は大企業とアメリカに奉仕する政策だから、その「恩恵」は庶民にとっては格差と貧困という苦しみでしかなく、これを拡げると言っているのだからブラックなキャッチコピーだと改めて思う。今回の改正は増税目的では無いと言うが個人所得税で730億円の税収増が見込まれている。現政権はトランプ大統領に二つ返事で軍事兵器の“爆買い” を続けることを約束しているが、例えばイージスアショアは1基1000億円弱(一発10億円、年間維持費100億円)と報道されている。まさに「大砲かバターか」を真剣に考えなければならないのではないか。

 脱線してしまったが、形式的な比較の話しに戻ろう。まず、前半の比較だが、給与所得控除に含まれる要素には、大綱で比較されている「概算経費控除分」の他に「利子控除分」「勤労性控除分」「把握控除分」の要素があるとされている。残りの3つを無視して、経費(勤務関連支出)と現状の控除額を比較しているのだから比較の意味をなさない(比較データのねつ造)だろう。「勤労性控除分」は勤労者だけでなく次世代を再生産する家族も含めた維持費や養成費と言われている。可処分所得の減少と年金制度等の将来不安から少子化が進んだという指摘が多くされている。今日的に重要な構成要素である「勤労性控除分」を真摯に議論すれば、現状の給与所得控除額では不足しているという結論になろう。
 なお、「様々な形で働く人をあまねく応援する」のであれば、フリーランスや家族経営の自営業者等に「勤労性控除分」を認める改正をするのが筋だろうし、それが必要だと思われる。

 後半の比較だが、社会保障制度も異なれば生活文化も異なり、日本では企業が負担するソーシャルコストが低いという指摘も多くあるのに、主要国の控除額と比較して主要国に水準を合わせる意味があるのだろうか。日本の税制は、日本において到達可能な健康で文化的な水準を国民が等しく享受できるためのものである。他国に合わせて水準を引き下げる考え方は、日本国憲法に違反するものと思われる。WHOにしろILOにしろ、各国政府が可能な限り努力して水準を向上させることが国際的な水準の向上に資するという考え方が基本であり、現政権の考え方は国際的にも異常視されるだろう。

 また、給与収入と公的年金等収入にだけ所得控除があり、事業所得者より優遇されているという比較は正当だろうか。
 現状は所得税の課税対象となる収入を10種類に区分して、それぞれの収入の性質に応じて課税されるべき所得の計算方法を定めている。その他の所得の控除の意義目的は省略するが、退職所得は基本的に収入から勤続年数に応じた控除をし、その1/2を課税対象にしているし、一時所得(償金や生損保の満期一時金など)は、収入から収入を得るための経費を控除し、更に一律△50万円を控除して課税対象にしている。
 つまり、一定の合理性があるものとして税法に定められた計算方法が、10種類の区分毎に異なっているに過ぎないのである。制定当時の合理性が失われているのであれば、所得区分や計算方法も含めて応能負担の原則に基づいて意義目的から議論し直すべきであり、異なる意義目的による計算方法を比較して“優遇”などと判定するのは筋違いと言えよう。

 ところで、「クロヨン」批判はどうなった。所得の捕捉率が「給与所得者9:事業所得者6:農業所得者:4(9:6:4でクロヨン)」だと言われ、税負担の格差だと言われてきた。給与所得者は給与所得控除だけで源泉徴収されるのに、事業所得者等には自分で確定申告する必要経費が認められていて “ずるい”といった批判である。ところが、これには何ら触れること無く、逆に給与所得者が“ずるい”と言われている。裏を返せば「クロヨン」には合理的な根拠が無く、政策的な課題でも無いことが分かる。政府の都合に応じて作為的な比較をして“ずるい”を作出しているのである。“ずるい”は庶民(弱い者)同士を反目させ、世論を分断することで庶民への増税や負担増を押しつける歴史的な手法なのである。

 先ほど今回の税制改正で増税となる「高所得者」について触れたが、庶民のなかに「高所得者」のレッテルを貼って増税する第2段階である。引き続き検討すると言っているので、このレッテルは段階的に下方に移動するわけで、次は700万円だろうか。
 その一方で“スーパー・超・高所得者”とでも言うのか、桁違いの給与所得者には増税されないのである。東京商工リサーチが発表した2017年3月期決算の「役員報酬1億円以上開示企業」調査結果では、役員報酬1億円以上を受け取った役員の個別開示を行った上場企業は43社(構成比12.0%)で、人数は101人だったとのこと。これによると、1位最高額103億4600万円、2位64億7800万円で、10位18億9500万円である。3月決算法人の上位10人だけで410億円であり、例えば群馬県内の市の歳入平均額に匹敵し、草津温泉で有名な草津市で480億円程度である。
 被雇用者の給与が労働の対価であることに対して、役員報酬は委任を受けた職務執行の対価だという違いがあり、正当な報酬額だとされているが、あまりにも桁が違い過ぎていないだろうか。また、101人のうち43人が前年より増額されていることにも注目したい。日本の格差は急速に拡大している現実があり、税収不足で増税が必要であれば、“スーパー・超・高所得者”の“スーパー・超”の部分については、新たな仕組みを作って応能負担を求めるべきだろう。

 今回の税制改正では、筋違いの理屈で給与所得者と年金所得者に対して“ずるい”を作出し、さらに給与所得者の中に「高所得者」に対する“ずるい”を作出して、“所得再分配機能の回復”をすると言って、その実質は“取りやすいところから取る”庶民増税でしかないと言えよう。

【基礎控除が廃止される意味~慈恵的施策に変質させかねない猛毒】

 今回改正で給与と公的年金等の所得控除と基礎控除をバーターしているが、基礎控除は最低生活費を保障する考え方の制度的担保であり、基礎控除前の10種類の所得の考え方とは全く異なる趣旨である。国民の課税所得を算定する仕組み全体の真摯な検討抜きに、安易にバーターできるものではないだろう。所得控除は所得控除としての意義目的から議論されなければならないし、基礎控除は国民に等しく保障する最低生活費として議論しなければならない。
重大なのは「高所得者」には基礎控除を廃止していることである。最低生活費の保障は政府のさじ加減で実施するという意味に変質するからである。最低生活という権利が国民から剥奪され、政府の慈恵的施策に変質させる糸口になるだろう。また、基礎控除できない人が基礎控除できる人を差別する(劣等処遇)意識を醸成しかねないと思われる。

【電子申告を利用しないことへのペナルティーは猛毒】

 青色申告特別控除引き下げの理由は大綱から直接的には読み取れず、事業所得と給与所得あるいは公的年金等の雑所得の複数の所得がある場合の調整制度も無い。電子申告の場合は引き下げられないことからも、その理由は電子申告の促進にある。
 大綱では、ICTは生産性の高い経済社会を構築するとともに、国民の利便性や行政の効率性を高めるために重要なツールであり、税務分野においてもその積極的な活用が必要だから電子申告・納税等の拡充を進めるとしている。法人に対しても、大法人(協同組合含む資本金1億超)の電子申告義務化が平成32年4月1日以後開始事業年度から適用され、紙で提出しても無申告加算税が課せられる。どちらも実質的に罰金科料の類いである。
 しかし、ウインドウズのアップデートでシステム障害が生じたことや、個人情報のセキュリティーも不安視される現状のなかで、電子申告の促進という政策に躊躇して従わない納税者にペナルティーを課してまで遂行されるべきものなのだろうか。強権をもって服従させ管理しようとする政治姿勢であり、今後の改正手法につながる猛毒だと思われる。

【退職所得控除の改正は行われなかったが、改正の議論は進められている。】

 今回は退職所得控除の見直しは行われなかった。しかし、平成29年11月の政府税調の中間報告に「退職所得控除は勤続期間が20年を超えると控除額が急増する仕組みになっていることが、転職に対して中立的ではなく、働き方の多様化を想定していないとの指摘がある」という記載がされ、主税局担当者が「勤続年数に応じて控除額を計算する方法を変えることもあり得る」と話したと東洋経済で紹介されている。 “取りやすいところから取る”現政権の姿勢から、退職金増税は近いうちにあり得ると思われる。
 なお、前述の役員報酬と同様に桁が違いすぎる役員退職金については、新たな仕組みを作って応能負担を求めるべきだと思われる。

【おわりに】

 ICTやAIの技術進歩を背景に働き方は多様になっている。多様化への政策的対応は、働くことへの尊敬を高めること、働きがいのある人間らしい仕事の普遍化につなげられるべきだと思う。 
 しかし「働き方改革」は根拠ねつ造を含めて不当であり、働く者を“材料”としてしか見ない、“働かせ放題”“過労死の合法化”といった内容だと思われる。所得税の改正は、この「働き方改革」を後押しする観点からの改正である。審議中で厳しく批判されている「働き方改革」を後押しする税制が先行して決まってしまうことは異常である。これに限らず戦争法や共謀罪など、現政権では立法事実が無い或いは不明確なまま、つまりは国民に知らされず議論が尽くされないまま、強権的に法律が作られてしまう。このような事態から早期に脱して、まともな議論が尽くされる政治にしたいと切に思う。

 

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