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いま「水俣病」と向き合う
我々の事務所は毎年合宿を行っています。昨年は栗生楽泉園に行き、ハンセン病について学びました(未読の方はぜひ『事務所合宿 ハンセン病(栗生楽泉園)』をご覧ください。)そして今年は水俣を訪れ、水俣病について学びます。合宿のテーマに水俣病を推薦した人間であること、また水俣病について執筆を行い、その真実を語り続けてきた石牟礼道子さんが亡くなってしまったことに思いを馳せ、水俣病についていま思うことを拙いながら語りたいと思います。
私が水俣病について興味をもったのはほんの些細なきっかけでした。何枚もある舞台チラシからおもしろそうな演目を探していると、水面にうかぶ出演者、そして『静かな海へ MINAMATA』という文字が目に飛び込んできました。どんな内容かはまったくわかりませんでしたが、そのチラシはなぜかとても心に残り観劇することを決めました。そして実際にみにいくと、私は水俣病について何も知らないことを痛感しました。私が知っていたのは高度経済成長の過程で生じた公害であること、会社や国は最初こそ認めなかったけれども今では責任を認めているという学校で習った知識であり、もう水俣病は過去の話だと思っていました。しかし、この公演をみることで、当時チッソ内で起こっていた細川医師と会社側との攻防、水俣病が当時から今にかけて一種のタブーのように扱われていること、そして何より会社や国が認めた責任はごくごく一部であり、今でも水俣病に苦しみ続けている方々がいるというあまりにも愕然とする事実を知りました。これをきっかけに水俣病について知りたいと思いました。そして出会ったのが石牟礼道子さんの執筆された『苦海浄土』でした。
『苦海浄土』は観劇後すぐに読み始めました。しかし第一部を読み終えるのがやっとで、第二部・第三部は手つかずのままになってしまいました。内容は決して難しいわけではなく、興味がないわけでもないのにどうして読むことができないのか。それは長く私の疑問でした。しかし、今年、石牟礼さんの訃報を聞き、改めて『苦海浄土』を読みたい、という気持ちがおこりました。そして、そのきっかけとしてまずNHKテキスト『100分de名著 石牟礼道子 苦海浄土 悲しみに真実を見る』を読み始めましたが、これを読むことで『苦海浄土』を読めない理由がわかりました。正確にはノンフィクションではありませんが、『苦海浄土』の中では奇病に苦しむ罹患者と会社の対立だけでなく、罹患者と健常者という水俣に住む住民たちの中に対立が強く生まれていました。そして健常者は罹患者を見下し、差別し、また罹患者は自分たちがまるで罪人かのように自分が奇病に罹ったことを恥じ、やがて自分が水俣病であることを隠したり沈黙するようになりました。私が想像していたのは、水俣の住民とチッソや行政とのたたかいでしたが、むしろ『苦海浄土』では同じ水俣で暮らす住民の中でひっそりとしかし確実に対立の構造が成り立っていく様、健常者から罹患者あるいは罹患者家族に向けられる非情な言葉の数々、そしてやがては沈黙する水俣病患者の様子がありありと描かれており、そのやるせなさが『苦海浄土』を読むことの抵抗感になっていたのです。NHKテキストの第1回では「・・・『苦海浄土』には、水俣病によって苦痛と悲嘆と沈黙を強いられた人たちがたくさん出てきます。語り得ないものたちの声にどう向き合えるのか、それが『苦海浄土』を読むときに最も重要な問題となってきます。」と私の感じた感覚が端的に表現されていました。そして、NHKテキストには同時に『苦海浄土』は途中で読み進められなくなっても構わないのではないかと書かれています。というのも、水俣病に冒されたことでしゃべることができなくなった患者、また外的な圧力から沈黙することを選んだ水俣病患者やその家族の描写に対し、言葉以外のものから何をどう感じ取るのか、あるいはしゃべれない(しゃべらない)からこそ言葉を超えて感じる何かについて読み進めることが困難と感じるのはある意味で自然というのです。これを読んだとき、自分が『苦海浄土』を読めなかったのは言葉を超えて感じるものを受け止めきれなかったからなのだと、その一方で、どんなに時間がかかっても『苦海浄土』は大切に読まなければいけない一冊なのだと実感しました。そして再び『苦海浄土』を手に取り、合宿という機会を私の大切な体験にしたいと切に思います。
最後になりますが、水俣病患者の方々は、世間の差別など見えない圧力から沈黙を強いられた側面だけでなく、そもそも水俣病の症状としてしゃべることもままならなくなってしまったのです。それはつまり、水俣病患者が直接語った言葉はひどく限られているということです。そんな水俣病を知るということは、自分たち自身が知りたいと動き、行動しなければ限定的な知識、あるいはチッソや行政側などの偏った知識に陥る可能性があるということです。私は舞台『静かな海へ』を観劇したときに、学校の教科書の言葉がいかに偏っていたかに愕然とした記憶を思い出し、いまあらためてその恐怖を感じています。水俣病を沈黙に埋もれさせないためにも水俣の地を訪れ、自然の美しさとそこで起こっている事実に向き合い、自分で水俣病について感じる。いま「水俣病」と向き合いたい。そう強く思います。
参考文献
『新装版苦海浄土 わが水俣病』
著:石牟礼道子 出版:講談社文庫
『100分de名著 石牟礼道子 苦海浄土 悲しみに真実を見る』
批評家:若松英輔 出版:NHK出版
(田中 千亜希)