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ご挨拶
2021年10月より「協働」に新卒で入所いたしました、福田璃和と申します。自立した働く者としての第一歩を、人間の尊厳を金科玉条とする「協働」で迎えられたことを心から光栄に思います。すべてにおいて勉強途上のため、皆さまにご指導いただくことも多いかと存じますが、責任のある仕事ができるよう日々精進して参りますので、何卒よろしくお願いいたします。
自己紹介~今まで
生まれは埼玉県川口市ですが、2歳から6歳まで沖縄県浦添市で育ち、小学校1年生の夏休みに再び埼玉県(所沢市)に戻って、大学卒業まで過ごしました。
幼いうちに埼玉へ戻ったため、沖縄での記憶は断片的になりつつあるものの、アパートの通路からよく眺めていた海に沈んでいく夕日と、「だからよ~(※沖縄の方言)」といつも朗らかに笑っていた同級生たちと、うなりをあげながら青空を切り裂いて飛ぶ米軍機とを、コマ送りのようにふと思い出すときがあります。沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故のニュースを、引っ越したばかりの新居にて大変な驚きをもって見ていた母の姿も印象的でした。「かき混ぜる」という言葉に由来する『カチャーシー(※沖縄の伝統的な踊り)』のように、喜びも悲しみも渾然一体だった沖縄での日々は、今も私の血肉となって生きています。
私は内向的な子どもだったので、休み時間の度に図書室に駆け込んでは、好きな本を読みながら、元気に遊ぶ級友の姿と、季節とともに移ろう校庭の大イチョウとを時々眺める小学生時代を送りました。中学ではソフトテニス部に所属し、高校では生徒会長を務めたものの、特段楽しさはなく(笑)、感情を揺さぶられ強く好奇心を刺激されるのは、いつも優れた創作物や反骨精神で生き抜いた人々の歴史だったように思います。
個人間の関係性や社会規範の意義と歴史に関心があったため、法学部に進学後は政治学を中心に学び、規範や価値そのものを問いながら最善の生・共同体を追究する政治哲学の楽しさを知りました。ただ、慢性疲労から1年ほど心身の調子を崩していたことや、近現代が貨幣を仰ぎ、倫理の箍が外れた熾烈な競争社会であること、そして自分も生きていくために「継続的な恐怖と暴力による死の危険が存在し、人間の生活は孤独で、貧しく、険悪で、残忍で、しかも短い」(トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』)この荒廃した生に「適応」していかなければならないのかという閉塞感・葛藤から、自分の将来を思いあぐねたまま卒業間際を迎えていました。
そんなとき、偶然手に取った赤旗に掲載されていた「協働」の求人広告を目にして、直感的に「これだ!!」と思いました。功利主義的労働者でも享楽主義的消費者でもない、本来の人間――「現実に働き生活している社会的な存在としての人間」(『学習ブックレット 民医連の綱領と歴史―なんのために、誰のために(2019)』)――のために、そうした人間が生きる社会のために専門知を生かす組織が「協働」なのではないかと思い、すぐに応募をしました。緊張と準備不足から、応募した翌日に受けた面接ではかなりしどろもどろになってしまい、採用可否のご連絡を待つ一週間はほとんど祈るような気持ちで過ごしたため、採用のお電話をいただいたときは本当に嬉しかったです。
これからのこと
入所後2週間の研修で、会計・税務の専門家の立場からさまざまな組織と「協働」する意義や事務所の歴史を学び、改めて倫理的専門人として「協働」で働き学ぶ決意を強めました。 今はまず、自分のなすべき業務と学習に努め、失敗は理解を深める最大の機会だと思って励みます。
10月に入所してから今日まで、あっという間の約2か月でした。この間を振り返り、「協働」が目指すのは、会計の仕組みを通じて、人間的な協同としての経営を真摯に追究することにあるように感じています。それは、徹底的に個人の尊厳を侵し、相互扶助に基づく社会を破壊し、アメリカの軍事的拠点として機能するための制度改正を強行するなど、非人道的な所業を繰り返してきた自公政権の在り方とは、非常に対照的です。惨禍を繰り返さないために、今自分が歴史の分水嶺に立っているという意識からも、「協働」の職員として自分の責務を模索したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。