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『児童手当の所得制限を考える~子どもの権利条約に逆行する政策』

 2020年12月に菅政権が児童手当制度の見直しを決定し、2022年10月支給分から世帯主年収1200万円程度以上の子どもは、児童手当の特例給付すら打ち切られることになっている。打ち切られる子どもの数は約61万人、全体の4%にあたると見込まれているようだ。浮かせた財源(約370億円)を待機児童解消に充てるというのだから、「弱い者から弱い者への配分」による財政調整にすぎないことは明らかだろう。

 児童手当の目的について、内閣府ホームページに「少子化対策~というよりも~家庭等における生活の安定に寄与するとともに、次代の社会を担う児童の健やかな成長に資することを目的としています。」とある。つまり、我が国における最低限の「子供の支援」と「子育ての支援」を図る制度なのである。

 従って、児童手当は分け隔て無く全ての子どもに支給されるべきで、制限が設けられるとすれば、やむを得ない合理的な範囲でなければならないはずである。また、現状の児童手当は、“所得制限を廃止した子ども手当”を廃止した新児童手当なのだから、一層明確に所得制限の正当性が存在する必要がある。本稿では、児童手当における所得制限の正当性を中心に考えてみたい。

 

1.児童手当の歴史概略 

 我が国の経済状況や国際的な人権意識の状況などに影響された歴史がある。所得制限の正当性などを考えるにあたって、ザックリだが歴史をみておきたい。

 

(1)旧児童手当の誕生~政府部会の提言にかかわらず小さく生まれた

 児童手当法は1971年に成立し1972年1月から旧児童手当がスタートしている。戦後の民主化や世界人権宣言(1948)など諸外国の取り組みを背景に必要性が議論されたようだが、戦後の諸事情が重く制度化の取り組みは遅れ、高度成長期の末期になっての成立だったようだ。政府部会の提言は、第1子から18歳まで児童の“最低生活費を維持する手当制度”というもので、最低限度の保障という理念によっていた。しかし、成立当初は第3子以降を対象に5歳まで1人月3,000円からのスタートで、だいぶ小さく生まれたのであった。

 

(2)2009年までの歩み~逆風のなかでも拡充

 その後、2009年までに所得制限はありつつも、第1子から小学校修了(12歳)までに対象は拡げられ、支給額も3歳未満は月10,000円など引き上げられた。

 ところで、順調に制度が充実したわけではないことも押さえておきたい。当時の大蔵省は児童手当法成立の4年後(1975年)には制度廃止を含めた見直しを求めるようになり、これに続く「行革路線」のなかで2001年には「3年後の廃止」が宣言されていた。

 逆風のなかでも一定の充実が図られた背景には、児童の権利宣言(1959年)、子どもの権利条約(1979年国際児童年で国連人権委員会に作業部会設置され1990年国際条約発効、我が国は1994年にようやく批准した。)といった国内外の運動があった。そして、少子高齢化の急速な進展による産業縮小といった危機感が経済界に広がったこともあり、政策の基調が廃止から逆転して制度維持となったである。

 

(3)2010年の子ども手当の創設、僅か2年で廃止され新児童手当創設

 2009年の「政権交代」で当時の民主党は公約だった子ども手当を2010年4月から実施し、これに伴い旧児童手当は廃止された。子ども手当は、中学校修了(15歳)まで対象を拡げ、月13,000円に増額し、所得制限を廃止して支給するものであった。選挙公約では月26,000円だったが、財源問題を解決できず2010年度は半額でスタートした。2011年度においても民主党は東日本大震災の復興財源含めて財源問題を解決できず「迷走」し、2012年度から児童手当「復活」を自民公明と合意(「3党合意」)するに至った。

 所得制限なしの子ども手当は極めて短命で終わり、新児童手当では所得制限(年収960万円程度)が復活した。ただし、所得制限を超えた場合の移行措置として特例給付(一人月5,000円)が設けられたのである。

 

(4)2022年10月特例給付の打ち切り

 こうして設けられた特例給付だが、2020年12月に菅政権が制度見直しを決定し、2022年10月支給分から世帯主年収1200万円程度以上の子どもは、5,000円の特例給付すら打ち切られることになったのである。

 

2.新児童手当創設と特例給付打ち切りの問題点を考える

 

(1)基本的な理念の逆行

 子ども手当創設の基本的な考え方は「次代の社会を担う子ども一人ひとりの育ちを社会全体で応援するという理念のもと実施する~家計の収入の如何にかかわらず確実に支給されるよう所得制限を設けない~諸外国の制度においても所得制限は設けないことが一般的~」と説明されている。最低限の「子供の支援」と「子育ての支援」を図る制度の基礎となる理念を、 “保護者が子育てする”から“一人ひとりの育ちを社会全体で応援する”という理念に転換しているが特徴で、その帰結として所得制限を廃止している。これは、1994年に批准した子どもの権利条約に一定程度寄り添った理念の転換であり、国際的な人権状況に対応する流れだと考える。子どもの権利条約では、経済状況などどのような理由でも差別されず、すべての子どもが守られなければならないとされており、批准から15年も経過して遅きに失しているとはいえ所得制限廃止は一歩前進と評価されよう。

 子ども手当を廃止して成立した新児童手当において所得制限が復活した。国内法と国際法の優先議論は脇に置くとして、少なくとも国内法を国際法に近づけたのだから、国際法から遠ざかる国内法の改正には相応の正当性が明示される必要があろう。

 自民党のホームページで当時の石破政調会長は子ども手当廃止の3党合意について、次のように書いている。『所得制限を年収960万円程度にすることによって~子育て支援がより必要な世帯への重点配分が実現された。』『所得制限を設けることにより、民主党の「子どもは社会で育てる」というイデオロギーを撤回させ、第一義的には子どもは家庭が育て、足らざる部分を社会がサポートする、という我が党のかねてからの主張が実現した。』

 “恬(テン)として恥じない”というしかない。東日本大震災もあり、財政問題によって支給金額を調整するなどの主張はあり得ようが、児童手当すら制限せざるを得ないほど、我が国経済や財政が瀕死の事態に陥った具体的な説明はない。さらに、子どもの権利に係る制限の問題を、子どもの権利条約と真逆のイデオロギーの主張によって説明しており、正当性など全くないと言えよう。

 子どもに係る最低限の支援政策において、親の所得で分け隔てをしないことを原則的に貫くべきである。制度の仕組みの論点であれば、給付の入口での制限は適当でなく、出口の所得税あるいは子どもに近い自治体(住民税等)で一定の工夫をすることも考えられよう。

 

(2)特例給付すら打ち切る政権の意図

 前述のように、国際的な流れにも逆行する新児童手当であるが故に、特例給付という措置を取らざるを得なかったと考えられる。しかし、安倍政権に続く菅政権は、ついに特例給付すら打ち切った。これは、児童手当の特例給付に限った政策意図でなく“自助こそが原則、次に共助、最後(の最後)に公助”とする新自由主義政策の帰結である。

 税制面でも先行して基礎控除に所得制限が持ち込まれている。国家として最低限の所得保障をするという政策を放棄したのである。“自助こそが原則”であれば、国家には最低限度の保障という概念は不要なのである。特例給付の打ち切りも同じ脈絡なのである。

 ところで、“最低限の保障”という考え方は、国のあり方の根幹に関わる重大な問題のはずである。それなのに、 “高所得層バッシング”とも言えるムードのなかで国民が分断され、冷静で科学的な議論もなく法制度作りが進められていると思われる。

 “高所得層バッシング”は直近の「子育て世帯への臨時特別給付金」でも顕著に見られた。この給付金は制度設計(目的、対象、手段と効果など)そのものが極めて酷く、撤回して再構築すべきで、そもそも選挙目当てに子供を出汁にして出来レースをしていること自体が強く批判されるべきだったと考える。しかし“高所得層バッシング”は本質的な議論を攪乱して、うやむやなままに給付金は実施されるに至った。所得制限を当然とするムードは、非正規雇用などコロナ前から格差と貧困に喘いでいる多くの国民の率直な心情に忍び込みやすいと想像される。しかし、“高所得層(たとえば年収960万円程度以上など)”と呼ばれている層は、税金等の負担能力が高い“富裕層”なのだろうか。 “富裕層”“高所得層”のハッキリした基準はないのだが、たとえば税務署が“富裕層”として追いかける「財産債務調書」の提出義務ラインは、年所得2000万円超で、かつ保有財産3億円以上(または有価証券1億円以上保有)となっている。この論点は別の機会に考えたいが、“高所得層”というカテゴリーは、政府によって作出された“幻影”にすぎないと思えるのである。

 “高所得層だから負担は当然だ”といって作られてしまった法制度は、やがて一人で歩き出して、“気づいたら私も高所得層と呼ばれていた”ということになりはしないか。サラリーマンの給与所得控除の“天井”も足早に下がってきた。過労死をしても過労死にならない「高度プロフェッショナル」は、現状では年収1075万円以上で職種の限定もあるが、金額も職種の限定も解除されることは労働者派遣法などの経緯をみても明らかではなかろうか。 “幻影”に惑わされて、弱い者同士が分断されてはいけないと思う。なによりも、コロナ禍に喘ぐ多くの国民のなかに、子供の問題で“高所得層”という分断の感情が助長されていることに怒りを覚えるのである。

 

(3)特例給付打ち切りは実質増税

 2010年度の子ども手当の創設と対をなすのが、税制面での「年少扶養親族に対する扶養控除の廃止」である。子ども手当の支給と引き換えに、16歳未満の子どもは扶養控除(38万円)ができなくなった。同時に採られた「高校の実質無償化」と対をなして、16歳以上19歳未満が特定扶養親族控除(63万円)から除外され扶養控除(38万円)に減額された。

 これらの税制面の対応は「控除から手当(給付)へ」という政策的な考え方によっている。所得税は累進税率であるため、所得控除という制度は所得が高いほど軽減される税額が大きくなるという仕組みとしての特徴がある。そこで、相対的に経済的支援が必要な人に有利になるようにすべき政策は、税制での所得控除から直接の手当給付に置き換えようとする考え方が「控除から手当(給付)へ」であった。具体的な制度各論で矛盾はあったが、考え方としての筋は一定通っていると思われる。

 問題は、対をなす控除と手当なのに、手当を廃止等する一方で所得控除については復活等しないことである。「高校の実質無償化」は安倍政権によって2014年に世帯年収910万円の所得制限で打ち切りがあり、児童手当の特例給付は菅政権によって2022年10月から打ち切られる。所得制限の対象世帯は所得控除の廃止等だけが残る「実質増税」なのである。

 

3.子どもの権利条約を実践している国から真摯に学ぼう

 コロナ禍にあって、子どもの権利や子育ての権利がないがしろにされているという思いが強く、児童手当の所得制限を中心に考えてみた。大切なのは政策(政権)の理念だと思うのである。

前述の自民党ホームページと真逆の実践をしている国があることをテレビで知った。軍隊を持たないことを決めて、実践しているコスタリカである。貧しく小さな国だが、人にも自然にも、やさしく強い国で、子どもの権利条約を真正面から実践している。コスタリカの小学校に入学した子どもたちは、真っ先に『あなたは政府や社会から愛される』と教えられるそうだ。基本的人権の尊重という、生きて成長するうえで大事な事柄を小学校1年生でも理解できる“愛される”という暖かい言葉で教わるのである。さらに、『もし愛されていないと思ったら憲法違反に訴えて、政府や社会を変えることができる』と教わり、実際に憲法訴訟も起こっているとのことだ。政府や社会は、一人ひとりの人権を守るために存在しているという大切なポイントを、子どもだからこそ真っ先に身につけてもらうのがコスタリカの理念なのである。平和憲法を持っている我が国の努力すべき方向がここにあると強く思うのである。

 

以上

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