協働 公認会計士共同事務所

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新入所員の濱谷です

 2007年1月、「協働」に就職しました濱谷と申します。

 まだまだ未熟、というよりも無知ですので、至らぬところも多いかと思います。しかし、ひとつずつ着実に学習し、実行していくことで、クライアントの皆様と「協働」に貢献していければと考えています。

 会計、税務の学習も就職後2月に簿記3級の資格を取ったばかりという、ど素人ではありますが、まずは雑務からでも自分にできる仕事はきちんとやりきり、少しでも早く、より大きく、皆様のお役に立てる人間となるよう努めていく考えです。

 

◆25年、人生これまでのお話

 私は、高校まで徳島生まれの徳島育ちという生粋の徳島県人でした。しかし、大学受験となったとき、大学生活では一人暮らしをしたいと考えました。そして、ならば思い切り遠いところへ行きたいと、第一希望は北海道、第二希望は沖縄と地方だけを決めて挑みました。結果、北海道教育大学函館校への進学が決まり、北海道民となることとなったのでした。

 大学では教育大学の名の通り、教員を目指して勉学に励んでおりましたが、所属していた弓道部のご縁で知り合った公務員の方々と接する間に公務員も目指してみようと考え、大学卒業後も2006年まで挑み続けて参りました。しかし、この文章を書いていることからもおわかりいただけるように、採用されるには至りませんでした。残念ではありましたが、一心不乱にものごとに取り組むということの少なかった私が、挑み続けることの難しさを知り、その意義を自身に問い、ねばり強さを身につけられた時間であったと、今は考えています。

 そのように教員、公務員試験に挑み続け、気づけば25歳という年齢の自分。いい加減、きちんと自立せねばならないと、公務員以外での就職の道を考え始めていました。そんなとき、徳島在住だった親が東京へ出向することとなり、ならばと、居候させてもらいながら(ここらへん自立はまだまだ先かもしれません)東京で就職口を探すことに決めました。そして、七年間生活した函館に別れを告げ上京。実際は両親の住むところ、つまり実家へ帰還。それは、06年12月はじめのことでした。

 引っ越し後はすぐに就職活動を開始。とにかく興味の持てる仕事、企業は受けるだけ受けてみようと、IT関係や不動産業等々、様々な企業の説明会に行き、面接を受けました。その結果、一ヶ月ほどの就職活動で10社と少しの採用試験を受けまして、4社から内定をいただけました。既卒3年目社会人経験なしという私が、三分の一ほどの確率で正社員として採用していただける。これは、昨今の就職事情が改善してきている証のようにも思えます。もっとも、待遇がよくなっているかというとお世辞にもよくなっているとはいえないようですけれど。ともかく、そのようにいくつかの内定をいただくことができたのですが、より自分を磨き打ち込める仕事はないかと考え、探し続けていたところ、「協働」の求人と出会ったのでした。公認会計士、税理士といった資格を目指すことで自身を磨き、そしてその資格を取得することでより多くの人の役に立てる。これこそ私の目指すべき仕事であると考え、早速応募しました。しかし、会計も税務も、また「非営利・協同」の理念についても全く未知であり無知であった私。面接では、ただありのままの自分をさらけ出すしかありませんでした。的はずれなことも数多く話したと思います。私自身が、採用されるとは思ってもみなかった、というのが正直なところです。

 ところが、採用していただけました。これは、現在の私を評価してもらっての結果だとは思っていません。残念ながら、そう思えるほどの能力を持っていないと謙遜からではなく言い切れます。私の将来性という、未知の可能性に賭けて採用していただけたのだと思っています。だからこそ、仕事も資格取得の勉強も一歩ずつ学習し、実践し、獲得し、己自身を高め、得た知識、能力を活用していくことで応えてゆければと考えています。

 

◆私生活のお話

 現在は、父と母との3人暮らしです。父よりも母が10歳年上で、もはや6(ピー)歳。遅くに生まれた一人っ子ですので、父も母もずいぶん甘えさせてくれたように思います。現在も居候させてもらっているわけですし。しかし、「協働」に就職したことで、ある程度の経済的な自立は果たせたといえるでしょう。今後は早く孫の顔でも見せてあげて、恩返しをしたいところではあります。ただ、これがまたいつになるのやらという状況でして。両親にはまだまだ長生きしてもらわなければならないようです。こればっかりは、自分ひとりでどうにかできるものでもないですしね。

 趣味となりますと、大学時代からは弓道をやっていましたし、北海道に住んでいればスキーだってやっていました。ただ走る、それだけのことも楽しいと思える人間です。インドアな方向では、TVゲームなんかも大好きです。漫画もたくさん読みますし、小説だって大好物です。ごくたまには、レパートリーもない下手くそなのに料理を作りたくなりますし、眠ることはなによりの幸せです。ですが、最近はどれも満足にできていません。まぁ、眠らなければ死んでしまいますので、ある程度の睡眠時間は確保していますけれど。正直、環境の変化に慣れることに精一杯で、自身の精神にも生活にも余裕が足りていません。張りつめてばかりいるとお仕事にも影響が出るかもしれませんし、趣味に走れる余裕をもてるようになりたいです。でも、そのために頑張ると言うと、張りつめていることになるのでしょうか。日本語は難しいです。

 ともかく、私の現在は、趣味には不満足だとしても、充実しています。毎日が新しい物事との出会いですから。近い未来には、その充実感をより多くの楽しみとして捉えていける人間になっていきたいと考えています。

 

◆締めのお話

 現在の私は、「協働」の仕事にも理念に関しても、ヒヨコというにも生ぬるい、未だ生まれぬ卵だろうと思います。これから人生いろいろあって、落ちて転がり割れそうになることもあるでしょう。ならば、自身のやる気という熱気で、固く割れない固ゆで卵になって落ちて転がったとしても弾んでやろうと思います。そんな気持ちで頑張ります。しかし、ゆでたら孵らないですね。それでは困ります。まいりました。

 以上、ハードボイルドに生きたい新人(でも無理)な濱谷でした。

 今後とも、可能な限り末永く、よろしくお願い致します。

2007/03(濱谷 学)

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