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ペレストロイカ以降のロシア経済体制について

 1998年に協働として資本主義化を進めるロシア企業の視察を行い訪問記を出版したりもしましたが、昨年夏10年ぶりにモスクワ、サンクトペテルブルグを訪れることができました。10年前の1998年訪問時には、さすがに商品購入の行列を目撃することはなかったものの、経済的な厳しさは印象に残り混迷の渦中との印象を持ちました。しかし、今回の(2008年)訪問時は赤の広場の内外でも露天に商品があふれ、車両の渋滞もかなりひどくなっています。自動車は旧ソ連製の「年代物」が見られるものの多くはドイツ車や日本車が走っています。また、日本食のレストランがはやりのようで、コンビニのノリ巻きのようなものが120ルーブル(昨年のレートで600円)で人気のメニューとなっていました(高いと思ったが安心できる料理なので3回ほど食べた)。外食産業もそれなりには発展しているようです。物価は当方の感覚ではほぼ日本並みと思いましたが、給料水準も大企業等では日本に近づいているという話も聞きました。ただし、地下鉄運賃(15ルーブル)等必需品は日本より安いと思います。

 総じて明らかに経済状況は好転したように見えました。しかし、やはりいいことばかりではなく、花売り、掃除人、売店の売り子等年金生活者(?)の姿も見られ、経済格差はかなりあるという印象も持ちました。

 また、海外旅行者が必ずチェックすることになる通貨レートですが、10年前は1ルーブル10円弱だったと記憶していますが、今回の両替レート1ルーブル5円弱でした。経済発展したとはいえルーブルは高くはなっていないようです。

 また、とかく問題となるロシア人の気質についてですが、若者達は明るく親切で親しみやすい印象を持ちましたが、飛行場の職員等は相変わらず官僚的で、これは市場経済とは関係のない民族気質(?)なのかもしれないと思いました。

 その他最後に訪れたス-パーで、10年前に訪問したチョコレート工場の製品が売っていて、無事生き延びたかと思うと妙にうれしくなりました。

 

 だいぶ時間がたってしまいましたがせっかくのロシア訪問であり、雑記だけでなく、ペレストロイカ以降資本主義化を進めるロシアの動向について、主に経済の側面から若干の取材報告を行いたいと思います。

 

 

1、ペレストロイカ以降のロシア

 

 

(1) ゴルバチョフの時代(1985~91)

 

1985 ゴルバチョフ ソ連書記長就任 ペレストロイカ(改革)開始

1989 ベルリンの壁崩壊

1991 保守派のクーデター未遂事件発生、ロシア等3カ国首脳がソ連解体で合意

 

 1985年のゴルバチョフによるペレストロイカの開始以降、不透明であったロシア経済の実情は徐々に明らかにされ、ブレジネフ以降の経済停滞、巨額の軍事費負担を背景とした国家財政の困窮化は、政治体制も揺り動かすものとなった。

 1989年のベルリンの壁崩壊を象徴とする東欧の民主化、91年のソ連保守派のクーデター未遂といった事件が発生し、ゴルバチョフはその指導力を失って、ソ連は解体に至った。

 

(2) エリツィンの時代(1991~99)

 

1991 エリツィン ロシア大統領就任

1992 IMFと経済政策で合意、物価と貿易の自由化、ハイパーインフレの招来、国営企業民営化開始

1994 ロシア軍チェチェン進攻

1995 下院選挙で共産党躍進

1996 エリツィン 大統領再選

1998 前年のアジア通貨危機の影響を受けて通貨危機発生、ルーブル変動相場制へ移行

1999 エリツィン 大統領辞任

 

? 1991年にソ連解体の引き金を引き、ロシア大統領に就任したエリツィンは、ソ連の経済体制を一気に資本主 義化し、世界の市場経済に組み込むべく取り組んだ。(注)IMFは、ロシアに対する外貨貸付をてこに資 本主義化と多国籍企業のロシア進出の促進のための経済政策をロシアに「指導」した。その基本は、以下 の2点である。

・ 市場経済の導入すなわち国有企業の民営化による新興財閥の育成と多国籍企業の進出促進

・ ロシア国家財政の赤字圧縮を理由とした年金福祉制度の後退、補助金等の打ち切り

 

  しかしロシア政府と(注)IMFの思惑とは異なり、こうした経済政策はロシア経済をさらに悪化させ、国 内総生産は下落を続ける結果となった。

 

? 1996~97年に至り、5年強続いたロシア経済の悪化は多少下げ止まりの兆候を見せたが、1998年にア ジア通貨危機の影響を受けて、ロシア通貨危機が発生、ロシア国債はデフォルト(債務不履行)となった。通 貨ルーブルは変動相場制に移行せざるを得ず、経済危機の中でエリツィンは退任に追い込まれた。

 

(注) IMF

 国際通貨基金の略称であり、為替相場(通貨)の安定化を目的に設立された。しかし、単なる通貨の安定化にとどまらず、経済的困窮状態にある国家に対する資金支援等を通じて、市場経済のグローバル経済とのリンクを含めた導入と国家介入の排除を徹底させる役割を果たしてきており、その意味で新自由主義的経済政策を担う国際機関といえよう。

 

(3) プーチンの時代(2000~)

 

2000 プーチン ロシア大統領就任、新興財閥との対立発生ベレゾフスキー等国外逃亡

2001~2 税制改革、土地改革(土地売買も可能に)

2003 石油大手ユーコスのホドルコフスキー逮捕

2004 下院選挙でプーチン与党の統一ロシア大勝、ユーコス解体国営石油会社ロスネフチが取得

2006 ウクライナとの天然ガス戦争勃発

2008 2007年からのサブプライム問題を背景に「リーマンショック」発生

 

? エリツィンからの権力の禅譲を受けたプーチンは、基本的に資本主義化の流れに沿いつつも、保安機関出 身者らしく強圧的な経済政策を採用した。すなわち、90年代に勃興し、欧米の国際石油資本等多国 籍企業と連携、国家権力にも手を伸ばそうとする新興財閥に対して、「脱税」等での摘発でその経 済力を強奪し、「大国としてのロシア」の復活というスローガンでふたたび国営企業等プーチン政権の手に戻 そうとする手法である。そうした手法は、国民の新興財閥に対する不満を背景に支持を受け、また、 民族主義的なプライドを満たすのに一定有効であった。

 

? また、IMFの経済政策と一線を画し、ロシア独自の資本主義化を進める手法が一定成功したことは、 「小さい政府と市場経済万能主義」を基本方針とするIMFの経済政策=新自由主義的経済政策がロシ アにおいても破たんしたことを示すものと考えられる。

 

? さらに、こうした政策を実施可能とした背景としては、石油、天然ガスといったエネルギー価格の20 00年代における高騰が当然ある。軍需産業を除いてめぼしい産業を持たないロシア経済の復興は、中 東産油国と同様に、現状でもなお石油、ガスの利益に依存している。

 

? そうした政策と経済情勢のもと、プーチンの大統領就任以降ロシア経済は年率7%程度の高水準で成長し、 貿易黒字は増加、政府財政の黒字化も図られた。しかし、2007年のサブプライム問題の発生を引き金に、 急騰した原油価格は一転急落し、ロシア経済もその影響を受けている。証券市場やルーブル相場の下落幅 は非常に大きく、ロシア経済の先行きは不透明さを増している。

 

 

2、国営企業の民営化動向

 

(1) 国営企業の民営化

 

? 民営化バウチャー方式

 

 1992年の国営企業民営化のスタート時にとられた手法であり、国営企業が株式会社に改組するとともに政府が国民に一定金額のバウチャー(民営化証券)を無料配布、国民はバウチャーと民営化企業の株式との交換ができることとした。従業員が勤務する会社の株式をバウチャーにより買取ることで従業員持株会社となり、従業員のモチベーションを引き上げて民営化を成功させることを想定しての手法と思われるが、実際には従業員にはその意義が浸透せぬままで株主としての自覚は生まれず、バウチャーを株式に交換することなくバウチャーそのものでの売買もできたことから、国営企業の管理者等に安く買いたたかれることにより新興財閥の経営者層が勃興する結果となった。

 

? 担保オークション方式

 

 ロシア経済の後退と国家財政の窮乏化の進行を踏まえ、1995年ころから採用された民営化手法であり、

政府が一部新興財閥から財政赤字の補填の為に資金を借入れ、その担保として国有企業の財産が提供された。政府に借入金返済能力はなく、担保資産はオークション(競売)にかけられたが、そのほとんどが政府に資金貸付を行った新興財閥が応札する結果となった。実質上、国家財産の新興財閥への「任意売却」であったといえる。

 

(2) コルホーズ(共同組合農場)、ソホーズ(国営農場)の現状

 

 コルホーズ、ソホーズについても国からの補助金が断たれる状況の中で、90年代の市場経済化に対応し個人農への農地分割と転換がはかられた。しかし、個人農への転換によっても小規模化による不効率と長年の総生産高第一主義により生産性が上昇せず、多くの農民は困窮し離農して労働者として都会に向かうといった典型的な資本主義発展途上国のたどる道を通過しているようである。

 現状は、個人農への転換は止まり、共同農場として従来のコルホーズ等が残る一方2001年に農地売買が自由化されことに伴ってコルホーズ等の経営者が農地を安く買いたたき、国営企業と同様に農業資本家が発生するような動きも見られる。 

 

(3) 国営企業への「回帰」

 

 一方で2000年代に入り、ガスプロム等エネルギー産業での国営企業が息を吹き返し、プーチンの強権的政策の下で新興財閥からの事業の没収、買収等新興財閥企業を支配下に収める動きが見られる。

 しかし、こうした動きは、重要であるとはいえロシア国内経済体制の一部であり、いまだ脆弱ではあるものの基本的には民間主導の市場経済がロシア経済にも広がろうとしていると見てとれる。

 

 

3、現状のロシア経済への若干の私見

 

(1) IMF主導の市場経済化、財政均衡政策の失敗

 

 エリツィンによるロシアの資本主義への移行は、基本的にはIMF(国際通貨基金)の指導と援助により遂行されていった。

 IMFは変動相場制化で通貨の安定を図り、それによって自由貿易の発展を目指す国際機関であるが、実態としては発展途上国等での経済危機に際し、国際的な市場開放を求め、アメリカを中心とした先進国、多国籍企業への市場開放を進める点でいろいろと議論のある機関である。

 基本的な経済政策は国家財政の緊縮と市場経済の導入であるが、それによってロシア国民の生活とロシア経済は大きな打撃を受けた。すなわち、国家財政の緊縮化により、年金、教育等の財政支出の削減が実施され、農業に対する補助金も削られた。また、市場経済の導入により、国有企業の民営化=新興財閥の勃興と経済支配、新興財閥と多国籍企業との関係強化といった私的企業の編成が行われた。

 こうした経済政策の結果、1990年代のロシア経済の不振(GNPの縮小)、98年の通貨危機の招来が引き起こされた。この点は、ロシア版の新自由主義的経済政策の不成功ないしは失敗と認識される。90年代がロシアの大きな経済構造転換の過渡期であったとしても、こうした対策がロシアの経済復興には効果を発揮しなかったことは明らかであると思われる。現在の世界同時不況の元凶となっている市場経済全面依存の流れは、90年代のロシアでも失敗しているということではないか。この点で、国民の消費や福祉を軽視する経済政策は、経済発展そのものについても中長期の有効性を持たないものとして理論化できないだろうか。

 

(2) 国営企業の「回帰」現象について

 

 プーチンは、エリツィンにより後継者として指名され(エリツィン一族の生命、財産の保護が条件だったとされている)たが、その政策は大国としてのロシアの復活を掲げ、ロシア民族主義を色濃く反映したものとなった。

 経済政策として、従来のIMF主導による対応とは一線を画し、民営化の過程で勃興したロシア新興財閥に対する強権的な対応を行った。財閥経営者の逮捕、民営化企業の再度の国有化、その背景としては、国際的な石油、ガス市況の上昇による資源国としてのロシア経済の回復がある。

 ただし、それはロシアが再び社会主義を目指していることにはならない。国有企業として維持されているのは、ガスプロム等一部巨大資源企業であり、国際的な企業競争の中で勝ち抜いていくためのロシアなりの国内企業育成策と考えられる。また、ロシアの悪名高い官僚による経済支配という側面もあろう。

また、すでに市場経済は国際的な商品市場とも結びつく形でロシア経済にビルトインされており、また、貧富の格差、モスクワ等の都市と地方の格差の広がりも顕著となっている。

 こうした点で、ロシア企業の国営化復帰の流れは、国際的な企業競争の渦中での生存をかけたロシア民族資本の巨大化指向であり、発展途上国経済における経済発展の手法の一つとみてよいかもしれない。今後の動向を引き続き注意深く見ていく必要があろう。

 

(参考)株式会社ロシア  栢俊彦(日本経済新聞出版社)

  ロシアの経済事情 小川和男(岩波新書)             

2009/04 (根本)

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