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「母親としての非営利・協同活動」

 東京の下町の小学校に通う子供の親として、昨年度初めてPTA活動に参加した。

 初めて(・・・)と言う表現は正確ではなく、小学校入学と同時に親は会員資格が強制的に与えられ、逃げられない当番だけは参加するのみの活動であった。しかし、いきなり人員不足によるお誘いから役員に推薦され、あたられた役職はもちろん「会計」。役員会としては当然の人事であるし、私もそれ以外の運営を任せられても無理であるため、1年間だけの約束をして引き受けることになった。いったいPTAとはどのようは組織なのかを知るためにも良い機会であるいう思いもあった。

 

 PTAとは、親と先生が地域の子供の利益となる活動を目的として組織されて団体であり、すでにアメリカで存在していたものを戦後GHQの提案で半強制的に導入された歴史があるようである。自発的に組織されてものでないため、その活動は昔から会員の一部のみで行われていることが多く、そのことは、現在さらに拍車をかけており、我が小学校のPTAでも同様であった。

 単組である各小学校PTAは、地区PTA連→東京都PTA協議会→日本PTA全国協議会と上部団体に所属している。東京都及び全国組織は「社団法人」であるため、公益法人改革により、両者とも公益認定委員会をつくり公益認定に向けて検討しているようだ。協働にいる職員としては今後の行方が気になるところであるが、T=先生であるのはご存じの通りで、東京都・全国組織ともなれば理事に元役人がいてもおかしくないし、文部科学省とのつながりも深いだろう。いつの間にかに認定公益法人になっているように思える。

 また、税務の観点からみるとPTAは人格のない社団等に該当し、収益事業(限定34業種)を営む場合に限り課税の問題が生じる。全国のPTAで税務申告書を提出している法人がいることは確認できていないが、我が校では当然収益事業は行っていなかったので、そんな知識を披露する機会が与えられなかったことは、税務にたずさわる者としては少し残念であった。

 

 さて、会計担当として実際に「非営利・協同」活動はどうだったか、活動報告をまとめてみたい。

 我が校のPTAには会計規則がないため、「これならどんどん改善できる」と引継ぎ当初は意気込んだものの、最終的には従前のやり方を踏襲した。もう何十年も手書の帳簿を記録したことがないので「えっ、手書きか…。」と初めは思ったが、実際の帳簿は、現金預金合同の出納張と総勘定元帳に分かれていて、実に無駄なくまとまっていた。これなら手書き帳簿で十分ではないかと思うところもあり、改善するほどの問題が見つからなかったことが踏襲の理由となった。 

会計担当で一番大変なのが、収入=会費の回収。それも未収金の回収。何度催促しても指定の方法で支払いをしない人への督促である。学校で給食費の未納者に苦労していると社会問題になっている。PTA会費も同様で、決して払えない訳ではない。親としての社会常識の欠如だと思う。親の背中をみて子供は育つ…、我が子においては良いも悪いもその通りのように感じている日々、これからの日本(ちょっと大きいですが)が

心配でならない。

年度末を締めると待っているのが決算作業、決算監査と定期総会での会計報告。普段監査をするまたは報告を受ける立場だった私が、監査を受けるまたは総会にて読み上げる側になった。監査人もやりづらかったと思うし、しゃんしゃん総会であることは最初から予想されていたが、それでも緊張していたようで、終わった後は喉がカラカラ、早くビールが飲みたいと思ったのも久々だったような気がする。

仮に私が監査人だとすると、これはいかがなものかという問題もあったが、今まで公にすることはなかったので、今後もそれはそのまま引き継がれていくことであろう。

一年あっと言う間でしたが、校長先生に名前と顔を覚えていただいたこと、異学年の役員さんとの交流が活発になったことなど、PTAを通じてたくさんの人々との交流があったことは、引き受けて良かったことのひとつだと思う。

 

下町の小学校ゆえに、親の経済的事情は厳しく、母親が昼間仕事をしている割合は100%に近い。それもパートではなく常勤で働く母親も増えている。また、近所との付合いを好まない若い世代もさらに増えていくだろう。このような地域でこれからのPTAがどうなるのかはわからないが、仕事を持ちながらもひとりの母親として地域活動に参加し、これからも子供たちを応援していきたい。そして子供たちに元気をいっぱいもらって私たち大人も日々成長しなければと思う。

野球が大好きで週末の練習日だけは体内時計で目覚める6年生の息子と、おてんばで私とうりふたつの甘えん坊2年生の娘には、昨年一年間寂しい思いたくさんさせてしまった。そんな母でも変わらずに大好きでいてくれていることに感謝し、「ありがとう」をたくさん言いたい。

(岡村  弘子)

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