協働 公認会計士共同事務所

レポート

レポート > コラム,レポート

国犯法が通則法に編入されたことに感じる主権者としての恐怖

 平成29年度税制改正で行われた国税通則法の改正に感じている恐怖について雑記しようと思う。各種報道等に接して感じる恐怖であって、用語を含めて考察したものではないことを予めお詫びしておく。

 

 重大な人権侵害に結びつく法律が、極僅かな国会審議で、つまり主権者である我々国民に知らされることなく決定される事態が続いている。国会での数の力による暴挙も、政権の意向を忖度して恥じない大手メディアの姿勢も批判されなければならない。(今回のテーマと直接の関係はないが、あっという間に種子法が廃止されたことには唖然とした。国民の食が、すなわち食べて命をつなぐ営みが、独占バイオ企業の利潤追求に差し出されたに等しいのに、ほとんど事実報道すらされない。)

 

 平成29年税制改正の中で、国税犯則取締法(国犯法)を廃止し、国税通則法(通則法)に編入(統一法典化)された。

 通則法は納税者の権利を含め一般の国民に向けた法律であり、調査も任意調査を定めている。国犯法は脱税犯への犯則調査を定めている。

 犯罪調査の手続きが一般の国民に向けた法律に持ち込まれたのである。通則法では、“税務署員の権限は犯罪捜査のために認められたものと解してはならない”といった限界も定めているのに、なぜ立法趣旨が全く異なる犯罪者への法律を編入したのか。本質的な筋の通った説明は無いまま、平成30年4月1日施行である。

 また、国犯法がそのまま編入されたのではなく、捜査権限を強化しての編入である。パソコンデータの差押え、クラウドデータの保全、強制捜査の日没後開始などだが、経済活動の高度化に伴う手口の高度化巧妙化を背景に、刑事訴訟法等との「並びをとることを意図した(国税庁の税制改正意見)」ようだ。

 弁護士のコラムページ等で学ばせていただいたのだが、民事と刑事では、証拠の収集や証拠評価に対する考え方が大きく異なるとのこと。民事は「証拠自由の原則」と呼ぶそうだが証拠採用が柔軟で、刑事では「違法収集証拠排除法則の適用」があり証拠評価も厳格とのこと。そもそも、民事手続きと刑事手続きを統一法典にすること自体がおかしいようだ。

 言われてみれば、税務署の白色申告の更正決定については同業者の平均値などアバウトな推計課税が行われるが、脱税犯については推計といっても財産や債務の変動事実を詳細に積み上げて厳密に算定されている。

 こういった本来の手続的な違いを税務署員が適切に運営できるのだろうか。曖昧になり(曖昧にして)、犯罪調査の手法が一般の国民全体に向けられ、日常的な監視やプライバシー侵害が広がるのではないか。警察や自衛隊による住民監視が表沙汰になっても、謝るどころか法律が不備だという態度をみれば、税務署も近いうちに同じようになる恐怖を感じる。

 民事の手続きで刑事事件にできるという「便利な武器」を作ったのではないかと思いたくなる。刑事事件をでっち上げるような運営がすぐに始まることはないだろう。(治安維持法も時局を経て凶暴化したように。)しかし、「今から犯則調査に切り替えることもできるぞ」と脅かして、任意調査の名目で強制的に資料を収集する運営が広がるであろうことは容易に想像される。

 さらに、国犯法の規定が通則法に持ち込まれたので、「~煽動したものは3年以下の懲役~」等といった第三者である団体や個人を処罰する規定が適用され、節税の相談が「脱税の煽動」にされかねないのではないかという恐怖もある。

 任意団体に対する課税強化という点では、平成23年12月の抜本改正によって、それまで個別税法の規定だった質問検査権を削除して、通則法に編入した経過がある。任意団体に対する質問検査権の行使が全面的に可能になっているということである。政府に楯突くような任意団体については、入口は税務調査で出口は「共謀罪」ということになるかもしれない恐怖もある。

 麻生太郎財務大臣は、任意調査と犯則調査について「履き違えぬことを調査、指導してゆく」と答弁している。こういった「歯止めの努力」の国会答弁はその場しのぎの方便に過ぎず、法律に定めない限り歯止めにならない。そのことは国旗国歌法でも証明されている。国会審議では内心の自由は保障され義務づけも強制もしないと総理大臣が答弁していたが、今や国立大学にまで強制が及んでいる。

 また、「一般の国民」と「犯罪者」の境目を行政機関・権力装置の恣意的判断に任せるという脈絡は、「共謀罪」と同じである。既に森友学園問題や豊洲移転問題などにも見られるように、法律も一般国民の利益も守らない深刻な「役人の劣化」がある。そこに「便利な武器」を与えることで、シビリアンコントロールが効かない暴走が始まるのではないかという恐怖も感じる。

 今回の通則法改正も、安保法制、盗聴法・司法取引・共謀罪、秘密保護法、マイナンバー制度などとともに、アベ政治がすすめる「戦争する国づくり」「世界で一番企業が活動しやすい国づくり」を将来にわたって保障するインフラ整備の一つだろう。

 

 その「国づくり」では、主権者であるはずの我々国民は監視され、取り締まれ、「税金を取られる」立場に置かれるようだ。しかし、それで良いわけがない。時間はかかるだろが、主権者が主権者としてすすめる別の国作りができるはずである。

 アイスランドの取り組みに注目していただきたい。恥ずかしながら、アイスランドについて何も知らなかった。氷に閉ざされた国で、金融市場にのめり込んだあげく、リーマンショックで破綻の淵に立たされて借金を踏み倒した国、といった偏見に近い認識だった。

 YouTubeの『アイスランド無血の市民革命 通称:鍋とフライパン革命』という自主作成映画を見て驚いた。「国家の破綻」に直面した市民が“真実を知り”、牛耳っていた支配層に“ふざけるな”と宣言して立ち上がり、市民が主権者として立法や行政に拒否権を持って参画する国作りを始めていたのである。

 今日の状況を含めて知りたくてネット検索しても情報がなく残念だが、この映画は多くの方に見てほしいと思う。日本とは人口や経済規模で違うが、火山の多い島国であることをはじめ多くの点で共通しており、研究者やジャーナリストの方々がテーマとして追跡していただけることを願っている。

 

 最後に、主権者として税制を考えようということで、読み物として「日本の納税者(岩波新書・三木義一)」を紹介したい。「はじめに」を読んでいただければ、一気に読み終えることと思う。

 クイズ番組で“憲法に定められた国民の三大義務とは?”なら早押し問題である。しかし、そもそも何で義務なるものが定められているのか、国民の主権と義務の関係に違和感はあったが、私はあまり考えていなかった。憲法に国民の義務が持ち込まれて以降の税制等の諸問題をリベラルなスタンスで平易に語られている。耳の痛い話もあるが、面白く学べたと思う。この本の「おわりに」で三木先生は“そろそろ、義務としての納税から、自分たちの意思としての「払税」に変え、社会の責任ある主権者として政治に、税制に、予算支出に関わっていこう。”と呼びかけている。

(岡本 治好)

トップへ戻る