協働 公認会計士共同事務所

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坂根さんを偲んで

 坂根さんの訃報を聞いた時、会う機会を逸してしまったなと後悔の念が消えませんでした。忙しさにかまけて最後にお会いしてからあっという間に時間が過ぎてしまっていました。ここに坂根さんに哀悼の意を示すとともに、坂根さんから学んだこと(気付かされたこと)を記したいと思います。

 

 坂根さんとの出会いは、私が監査法人を退職することを決めて、協働の門戸を叩いた08年6月、事務所で面談をしていただけるとのことで事務所に伺ったのが最初でした。第一印象は、未だこんなにたばこくさい事務所があるのかと(一瞬)愕然としましたが、私の想いを聞いていただき、一緒に働く機会を与えていただいたことに感謝しております。

 協働に来てから新たな仕事に慣れるのに時間を要しましたが、坂根さんの全国行脚の出張に同行し、寝食を共にした経験は何物にも代えがたい(うまく表現できませんが)無形の財産となっています。正直、色々と学問的、実践的なこともご指導いただいたのですが、自らの経験的な考えも備わっていたため、いいとこ取りしかできませんでした。それよりも、仕事に対する姿勢や人との接し方等を言葉ではなく坂根さんの生き様で体感させていただきました。ただ、当時はあまり体感した感覚はなく、徐々に坂根さんと同じ立場に立つようになってくるにつれ、意味合いが分かってきたというのが実情です。

 

 坂根さんとのエピソードをいくつか。坂根さんから言われた言葉で印象に残っているのは、「物事を判断するときに最善手を模索するのではなく、次善手でもいいから悪手は指さないこと」。私も(遠い昔のことであるが)へぼアマの将棋指しでしたので、この言葉は、その通りと思いましたし、私の生き方、考え方を体現している言葉でもありました。私も将棋を指している当時から「最善手は一つしかないけれども、イイ手(正解)は複数あり得るので、それを自分の頭で考えることが大事」と言い張って定跡を反故にしてたタイプですので、坂根さんのこの言葉は強烈に残っています。

 また、レアケースでしたが、出張で布団を並べて寝床に入った際に、寝言で指導されたことがありました。こちらは、その寝言に飛び起きたのですが、坂根さんは爆睡されていました。夢にまで(寝言に出るほど)真剣に仕事と向き合っているんだと思った次第です。ちなみに前後の脈絡は忘れてしまいましたが、寝言は「○○バカヤロー」でした。○○の方々に会うたびに坂根さんの寝言を思い出してしまいます。

 坂根さんから指導を受けたことで、今でも教訓になっているのは、講演の際のしゃべり方です。講演の内容や中身については、特に言われたことはなかったのですが、聞く側に立って話すべきと助言を頂いたのは、目から鱗でした。話すことに精いっぱいで、聞く方々に伝わっているかが完全に発想から抜け落ちており独りよがりであったことに気付かされました。客観的に自分の講演をふり返ることができないので、録音、録画、文書お越し等で見直してみると弱点が露見され、未熟さを再認識することの繰り返しですが、坂根さんのおかげで、あれだけ話すことが苦手でしたが、少なくとも講演できる環境には喜び(やりがい)を感じられるまでになりました。

 

 これからは、坂根さんはじめ先達が築いてこられた「非営利・協同」の分野を継承し、時代に即して発展的にカスタマイズしながら、後世に引き継いでいくことが私どもの世代の役割だと思っています。協働の事務所は人数も増え大分大きくなりましたが、まだまだ未成熟ですし、先達から色々とご助言を頂きたいところではありますが、いつまでもおんぶにだっこでは独り立ちもできません。坂根さんはじめ先達が創設された「協働公認会計士共同事務所」を未来永劫発展的に継承していけるよう、その先頭に立って奮闘することを決意して、坂根さんへのお別れの言葉にしたいと思います。

 

 坂根さん、生意気な未熟者が大変お世話になり、ありがとうございました。安らかにお眠りください。

 合掌。

 

協働公認会計士共同事務所

代表社員 公認会計士 田中淑寛

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