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世論を政治を動かすには

1.はじめに

 全日本民医連の月刊誌である「民医連医療」で2023年2月から連載している、「いま、憲法を学びなおす(聖学院大学 石川裕一郎教授)」の第6回(7月号)を読んでいて「熟議民主主義」という言葉が出てきました。憲法学や政治学で論じられるものらしいですが、普段の不勉強もあり全く知らない言葉でした。気になり調べてみたので、ここでは熟議民主主義を紹介すると共に、その内容や考えたことをコラム的に述べたいと思います。

 

2,熟議民主主義って何?

 民主主義という言葉は普段から耳にしますし、我が国は民主主義国家であると小さい頃から皆さん教わってきたことでしょう。民主主義では多数決によって意思決定を図ることが重要な概念としてありますが、そこでは当然に話し合いが重要になります。ここに、「熟議民主主義」という考え方が登場することとなります。

 「熟議民主主義」の「熟議」とは、1人で熟慮するのではなく、皆で話し合って熟慮すると言うことです。いわば、「熟慮」と「協議」を合わせたような言葉であると言えます。皆で熟慮しながら協議して意思決定をするということです。

 

 この「熟議」の際に重要なことはどういったことか考えてみます。話し合うといっても、多種多様な価値観や利害関係の中で、満場一致で満足するような意思決定をすることは非常に難しいことはいうまでもありません。そこで、他人の意見に耳を傾けながら自らの立場を修正しようとする態度を持って議論することが重要となります。話し合いの場で、相手を否定する攻撃的な態度や、自分の意見を絶対に変えないような姿勢では、建設的な協議は出来ません。各人の思い込みであったり、感情的になりすぎるような状況は可能な限り回避することで理性的な話し合いを通じて意思決定しようというものです。

 また、一部の特定の人々を恣意的な方法で排除することがあってはなりません。その意思決定によって影響がある全ての人々(又はその代表者)の参加が認められているべきと言えます。例えば、障害者やジェンダーに関する政策決定に関して、影響ある当事者が意思決定の場に参加していない状況で話し合っても不十分であることはこの間の政治状況をみても明らかでしょう。

 さらに言うと、熟議に参加する人は等しく平等であり、参加者の誰でも意見を述べ、あるいは疑問を呈することが出来ることが必要となります。忖度などいりません。権力や社会的立場は熟議のうえでは関係ないということです。そういった意味では、参加者におけるジェンダーのバランスであったり、使用言語に対する配慮といったことも重要な論点となるでしょう。

 

3.ミニ・パブリクス

 熟議民主主義の現れとして、「ミニ・パブリクス」と呼ばれるものがあります。一般的には、少人数規模でおこなわれる熟議の場であり、社会の縮図となるように無作為に抽出した一般市民を数十人から数百人集め、社会的に論争のあるテーマについて話し合いを行う場のことです。具体的には、討論型市民会議、市民フォーラム、コンセンサス会議、などといった形式でおこなられることが多いようです。重要なのは、単に人々が集まって話し合っていることではなく、それがしっかりと制度化されていることです。そしてその制度の運用ルールが柔軟に見直されるということが重要となります。このミニ・パブリクスのような取り組みが、地域で、国で、社会全体で拡大していくことも民主主義の発展、あるいはよりよい社会への前進に向けて必要なことではないかと思います。

 

4.ひるがえって現状の日本社会における民主主義の矛盾

 日本国憲法は基本的人権の尊重と国民主権をその基本概念としていることはいうまでもありません。現状はというと、国民主権とはいうものの国民がないがしろにされた(置いてきぼりにされた)状況で政策決定がなされ、気が付いたら国民の生活は追い詰められています。

 一方で、各種選挙における投票率は低位安定し、政治的無関心が広がっています。社会の未来に対する希望(展望)が持てない、閉塞感だけがつのっていく状況です。様々な政策に対する意見としては反対であるという考えを持っている人は多いと思いますが、投票行動としてはある意味矛盾した結果が出ていることは皆さんご承知かと思います。結局、選挙で政権与党が勝ち(野党が負け)、各政策は結果的に国民に受け入れられたものとされ生活を追い詰めてきます。この間、様々な法案が十分な議論や情報公開されることなく、なし崩し的に強行(改悪)されてきたことは、間違いありません。

 そもそもの選挙制度であったりマスコミ報道等の課題はあるとしても、多数決原理、数の力にのまれているともいえます。何とかならないのか、とやきもきする状況ですが、何とかしたい、と思っている方々も非常に数多くいらっしゃると思います。熟議民主主義を考えることが行動に移すきっかけの一つになればと考えます。

 

 本稿のきっかけである民医連医療7月号で「法案を含めた多くは最終的に国会の多数決で決せられるとしても、それに至る国会内外での国民の議論場や議会が著しく痩せ細っているのである。」とあります。そのような状況になるように政府当局が仕向けていることは間違いないと思いますが、ではどうすればいいでしょうか?石川教授は次のように続けています。

「これは、憲法学や政治学における「熟議民主主義」論に通ずる問題意識である。いずれにせよ私たちは、民主主義の短所を補う立憲主義の意義を理解しつつも、しかし、「話を聴く」「話を聴かせる」という民主主義本来の価値を見直し、その活性化の道筋を真剣に探るべきであろう」

 どこかの首相も数年前の就任時に「聞く力」と言っていましたが、結果は皆さんご存知の通りです。民主主義の活性化、非常に難しい課題ですが我々も正面から向き合って取り組むべき課題であると考えます。

 

5.おわりに

 熟議民主主義について、簡単にまとめながら考えたことを書いてきましたが、この熟議のためには皆が話し合うテーマに関して同様に情報を把握していることが必要となります。また、その情報を熟議するためには事前に各自勉強が必要です。皆で現状認識を一致させることからスタートすると考えられるからです。そうすることで課題に対する意思決定を適切におこなうことができるようになると思います。誰かに強制される訳でも無く、何らかの利益に向かう訳でも無く、自らが充分納得して結論に至ることが重要ととなるということです。また、そのためには我々が様々な事柄に当事者意識を持つことが大事であると思います。自分に関係の深いことである、自分が当事者であるということを強く意識することで、主体的に考え、行動することが出来るようになると考えられます。そして、熟議の結果を、周知・普及していく取り組みが重要となるのではないかと考えます。それこそが世論となり政治を動かしていくのではないでしょうか。

以上

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